平成の佐竹本三十六歌仙絵巻

 

 



柿本人麿

手描き友禅・絹本寸法・600/355・表装寸法・1340/750

 

第一巻 左方(一) 柿本人麿(かきのもとひとまろ)正三位

 ほのぼのと あかしの浦の あさぎりに 島がくれゆく舟をしぞおもう

 ほのぼのと夜が明けるころ、明石の浦の朝霧のなかを、島がくれに船が行く、その舟影を見送りつつ、しみじみと物を思っている。

 天智天皇から聖武天皇のころの人ですが、生没年などのくわしい経歴はわかっていません。「万葉集」を代表する宮廷歌人。後世の人に歌聖、歌仙として尊敬されていました。 生前は官位は低く、故郷であったであろう石見国に下って生涯をとじた。歌の才の惜しまれようは、死後に正三位を贈られている事で想像がつく。 [人麿」  

表裏の 歌の解説「佐竹本三十六歌仙復元会提供」一部加筆

 

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凡河内躬恆

手描き友禅・絹本寸法・550/355表装寸法・1340/750 

第一巻 左方(二) 凡河内躬恆(おおしこうちのみつね)六位淡路権掾

 いずくとも春のひかりはわかなくにまだみ吉野の山は雪ふる

 どこという分けへだてもなく春のひかりは満ち満ちておりますのに、吉野の山ばかりはなお春におくれ、寒々と雪が降っております。 

 凡河内躬恆は、寛平・延喜ごろの人というだけで、生没年や家系などのくわしいことは明らかではありません。「古今集」の撰者の一人、紀貫之とならぶ古今集時代の代表的な歌人。「凡河内」 

表裏の 歌の解説「佐竹本三十六歌仙復元会提供」一部加筆

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 大伴家持

手描き友禅・絹本寸法・570/355・表装寸法・1340/750

 

第一巻 左方(三) 大伴家持(おおとものやかもち)中納言従三位

さおしかの朝たつ小野の秋萩に 玉と見るまでおける白露

 牡鹿が立っている朝の野辺、秋萩の上に玉かと見まごうばかりに美しい白露が宿っている。

家持は、大伴氏で「万葉集」の歌人として有名な大伴旅人の長男。父の死後、従三位中納言になり、大伴氏の首長として一族を率いましたが、新興勢力の藤原氏に押されて、政治的には不遇な生涯を過ごしました。天平期を代表する歌人で、「万葉集」編纂集の中心人物。 「家持」

表裏の 歌の解説「佐竹本三十六歌仙復元会提供」一部加筆

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 在原業平

手描き友禅・絹本寸法・600/355・表装寸法・1340/750

第一巻 左方(四) 在原業平(ありわらのなりひら)権中将従四位上

世の中にたえて桜のなかりせば 春のこころはのどけからまし

 この世の中に桜の木がなかったら、(桜が散るのを心配しなくてもすむので)春の人の心はさぞのどかに過ごせるであろう。

 平城天皇の皇子阿保親王の子で、母は桓武天皇の皇女伊登内親王。たいへんな美男子であったと言われている。彼をモデルとして書かれたとされる「伊勢物語」には、高子や伊勢の斎宮との悲恋の物語が語られている。業平は、従四位上右近衛権中将を拝して、在五中将と呼ばれ、六歌仙の一人で、「その心あまりてことばたらず」と、感情を豊に表した秀作を多く残している。

「業平」

表裏の 歌の解説「佐竹本三十六歌仙復元会提供」一部加筆

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絵巻名 素性法師

手描き友禅・絹本寸法600/355・表装寸法・1340/750

第一巻 左方(五) 素性法師(そせいほうし)左近将監

いま来むといひしばかりに長月の 有明の月を待ちいでつるかな

 いますぐにでも行くと仰しゃったばかりに、長月長夜を待ち明かし、ついに有明の月が出る待ってしまったことです。 (百人一首・二十一)

 六歌仙の一人僧正遍照の子ですが、生没年はわかっていません。俗名は良峯玄利、清和天皇に仕え左近将監となったが、父の「法師の子は法師になるぞよき」のことばで法師になる。出家後ははじめ雲林院に住み、後に大和国石上の良因院に移り住んだ。 「法師」  

 表裏の 歌の解説「佐竹本三十六歌仙復元会提供」一部加筆

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