平成の佐竹本三十六歌仙絵巻

 

 



小野小町

手描き友禅・絹本寸法・850/355・表装寸法・1400/950

第二巻内 右方(六) 小野小町(おののこまち)女流歌人

いろ見えでうつろうものは世の中の 人のこころのはなにぞありける

 色はないけれども色が褪せるものは、それは世の中の人の心の花というものですよ、あてにならない人の心を花にたとえた知的な歌である。

 六歌仙の一人で、平安時代を代表する大女流歌人で生没年はくわしい経歴はわかっていません。参議小野篁の孫で、出羽の国(秋田県)の郡司小野良実の娘だとも伝えられているが、確証はありません。たいへんな美人といわれ、後世「小町」は美人の代名詞。姿よし、才も麗しく、心清く、立ち振る舞い、何処に批をうつ隙もなく「小野小町の欠點(あな)なし」と謳われた。 「小町」  

 表裏の 歌の解説「佐竹本三十六歌仙復刻会提供」一部加筆

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藤原朝忠

手描き友禅・絹本寸法・600/355・表装寸法・1340/750

第二巻内 右方(七) 藤原朝忠(ふじわらのあさただ)中納言従三位

逢ふことの絶えてしなくばなかなかに 人をも身をもうらみざらまし

 思いあって逢うという、喜ばしくも悩ましい、恋の場がまったくなかったなら、人のつれなさを怨み、身のつたなさを歎く、この苦しい物思いもせずにいられますのに。  百人一首・四十四・中納言朝忠

 醍醐天皇の生母藤原胤子の弟三条右大臣藤原定方の五男で、和漢の学に優れ、笙の名手でもあった。「朝忠集」にも多くの恋いの場面が詠われており、恋いのみやびに華麗な名をもった貴公子の一人であった。「朝忠」

表裏の 歌の解説「佐竹本三十六歌仙復刻会提供」一部加筆

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 藤原高光

手描き友禅・絹本寸法・600/355・表装寸法・1340/750

第二巻内 右方(八) 藤原高光(ふじわらのたかみつ)正五位下

かくばかり経がたく見ゆる世の中に うらやましくも澄める月かな

 これほどまでに、過ごしづらく思っている世の中に、何と清らかに、何事もなかったように、澄みきっている月であるよ。

 右大臣師輔の八男、母は醍醐天皇皇女雅子内親王。高光は幼少のころから文才に恵まれ、和歌をよくし、その前途は望み多いものにみえたが、応和元年二十余歳の冬、従五位上右近衛少将で突如として世を捨て比叡横川に上り出家した。[高光」

表裏の 歌の解説「佐竹本三十六歌仙復刻会提供」一部加筆

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 壬生忠岑

手描き友禅・絹本寸法・600/355・表装寸法・1340/750

第二巻内 右方(九) 壬生忠岑(みぶのただみね)右衛門府生

春立つといふばかりにやみよしのの 山もかすみてけさは見ゆらん

 立秋ーまさに春立つ、その声をきいたゆえといったらよいか、あの吉野の山も、今朝は霞が立っているように見えるのだろう。

 生没年は明らかではありませんが、紀貫之らと同時代の人で、壬生忠見の父。貫之・躬恆・友則らと共に「古今集」のの撰者の一人。「捨遺集」の巻等を飾る名誉を与えられた。 「忠岑」 

表裏の 歌の解説「佐竹本三十六歌仙復刻会提供」一部加筆

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大中臣頼基

手描き友禅・絹本寸法・600/355・表装寸法・1340/750

第二巻内 右方(十) 大中臣頼基(おおなかとみのよりとも)従四位下

筑波山いとどしげに紅葉して 道みえぬまで落ちやしぬらん

 筑波山はたいそう木々が繁っているうえ、木の葉はまっかに紅葉して、訪いゆく道もみえぬまで散りしいていることでしょう。

 大中臣家は天児屋根命を祖とする祭祀の家で、代々伊勢神宮に奉仕して祭主を務めるのをつねとした。頼基は、頼宣・輔親・伊勢大輔・康資王母・安芸君などの高名な歌人を輩出する家の基をなす人で、能宣の父である。 「頼基」

表裏の 歌の解説「佐竹本三十六歌仙復刻会提供」一部加筆

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