平成の佐竹本三十六歌仙絵巻

 

 



 清原元輔

手描き友禅・絹本寸法・900/355・表装寸法・1400/1000

第二巻内 右方(十四) 清原元輔(きよはらのもとすけ)従五位上

秋の野の錦をふるさとに 鹿の音ながらうつしてがな

 秋の野の錦とばかり色づいた萩の美しさ、これをわが住む里に、鹿の音もろとも移したいものだ。

 深養父の孫で、清少納言の父。歌人として名高く、天暦五年、和歌所の寄人となり、梨壷(皇居の殿舎の名)の五人(源順・紀時文・大中臣能宣・坂上望城・元輔)のひとり、 また、のちに、梨壷の五歌仙と謳われた。「後撰集」の撰進と「万葉集」の訓点に携わる。 「元輔」 

 表裏の 歌の解説「佐竹本三十六歌仙復元会提供」一部加筆

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 藤原元真

手描き友禅・絹本寸法・880/355・表装寸法・1400/1000

第二巻内 右方(十五) 藤原元真(ふじわらのもとざね)従五位下

年ごとの春のわかれをあはれとも 人におくるる人ぞしるらん

 年毎にする春の送別が、身にしみるものだとは、行く人よりも後れとどまる者の方こそ、一入のものして味わうでしょう。

 基真は従五位下甲斐守清邦の子、歌集には天徳三年九月中宮女房歌合、女御前栽合、内裏歌合などの出詠歌のほか、多くの恋の歌が納められており、哀艶な佳詠を残している。 「元真」 

表裏の 歌の解説「佐竹本三十六歌仙復元会提供」一部加筆

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 藤原仲文

手描き友禅・絹本寸法・600/355・表装寸法・1340/750

第二巻内 右方(十六) 藤原仲文(ふじわらのなかぶみ)従五位下

ありあけの月のひかりをまつほどに わがよのいたくふけにけるかな

 有明の月の出を待っているうちに、夜はしんしんと更けわたり思えばわがよわいも、ずいぶんと深くなってしまったなあ。

 信濃守公葛の子。元輔や公任などと交流の歌をとどめておる。「仲文集」には日常的なさまざまな場で、消息に変わるべき歌がこまやかに記されている。女流との贈答歌も多く、中には高名な美貌の才媛本院侍従との歌ものこされている。        「仲文」 

表裏の 歌の解説「佐竹本三十六歌仙復元会提供」一部加筆

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 壬生忠見

手描き友禅・絹本寸法・600/355・表装寸法・1340/750

第二巻内 右方(十七) 壬生忠見(みぶのただみ)壬生忠岑の子

焼かずとも草はもえなむ春日野を ただ春の日にまかせたらなむ

 野焼きをしなくとも、春になれば草は自ずと萌えるでしょう。春日野はただ春の日ざしにまかせておきたいものです。

  壬生忠見は生没年が明らかでなく、「古今集」の撰者の一人、壬生忠岑の子。平兼盛との歌合で負の判を下されて以後、不食の病にかかり病死したという説があるが、歌集の「忠見集」には忠見がその後も活躍していたことが記されており、信じかねる。 「忠見」

表裏の 歌の解説「佐竹本三十六歌仙復元会提供」一部加筆

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 中務

手描き友禅・絹本寸法・600/355・表装寸法・1360/750

第二巻内 右(十八) 中務(なかつかさ)伊勢の子

うぐいすの声なかりせば雪消えぬ 山里いかで春を知らまし

 もし、鶯の声がきこえてこなかったら、春がきても雪が消えない山里では、どうして春の訪れを知ることが出来るでしょう。

 宇多天皇の皇子中務卿敦慶親王と伊勢との間に生まれた名門女流であり、後撰集時代を代表する女流歌人。一時源信明の妻として陸奥に下ったが上京してからは添い遂げることは出来なかった。 「中務」  

表裏の 歌の解説「佐竹本三十六歌仙復元会提供」一部加筆

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