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第一巻 左方(五) 素性法師(そせいほうし)左近将監 |
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いま来むといひしばかりに長月の
有明の月を待ちいでつるかな
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いますぐにでも行くと仰しゃったばかりに、長月長夜を待ち明かし、ついに有明の月が出る待ってしまったことです。 (百人一首・二十一)
六歌仙の一人僧正遍照の子ですが、生没年はわかっていません。俗名は良峯玄利、清和天皇に仕え左近将監となったが、父の「法師の子は法師になるぞよき」のことばで法師になる。出家後ははじめ雲林院に住み、後に大和国石上の良因院に移り住んだ。 |
「いま来む」とは、女からの誘いに応じた男の返事である。「来る」と「行く」とは同じ意味に使われていた。この歌は誘いに応じだ男のことばを信じて、一夜中待ち明かした女の立場に立って歌っている。
つまり、「すぐにも参上しますよ」というおことばを頂いたばかりに、長月長夜を待ち明かし、ついに遅い有明の月が上がるまで待ちとおしたという、恨みの歌なのである。法師が女になりかわって、閨怨の情をうたうということに、王朝和歌が寛容であったことはその自由な文芸的時代感あって楽しく面白い。和歌の世界には古くから人の立場になり代わって歌をよむという分野があり、代詠や虚構の場もしばし用意された。それによって、法師が女に、男が女になり代わってうたう事も珍しくなく、他者の心情をわがものとすることにより、心の深さはまさったこと思われる。
素性法師は六歌仙の一人僧正遍照の子で俗名は良峯玄利、左近将監であった。父が出家したのち、父のもとを訪問すると、「法師の子は法師になるぞよき」といって無理に法師のされてしまったという逸話が「大和物語」にある。それによれば、本意からの出家ではなかったので、なかなかすぐに世俗を断ち切れず、京の思う人のもとにも通っていたらしい。
「素性法師集」を見ると公も素性の急な出家を惜しんでいたのか、宇多天皇や醍醐天皇の遊山のお供を奉仕することもしばしばであったらしい。素性は大和石上寺の住んだ。その死を悼んだ貫之は「消えにきと身こそ聞こえめ石上古き名失せぬ君にぞありける」と詠じている。
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