恵比須神社
  この恵比須神社の前に走る道は大和大路といって、字の如く奈良に通じる道であり、北に行くと建仁寺西門を通り、祇園町に通じる。南は太閤秀吉の大仏殿、後白河天皇の法住寺(蓮華王院等)、藤原氏(九条家)の東福寺、秦氏の稲荷大社等と在り、各時代で重要な役目を果たした道で、伏見(伏水)に至ります。その先は、いまは埋立て消えた巨椋(おぐら)池へと、宇治に も通じました。
御祭神
八代事代主大神
大国主命大神(父神)
少彦名神(父神の協力者)

本殿
  栄西が宋からの帰帆で暴風雨に遭った時に波間に恵比須神を得て、此れに祈った事で助かり建仁寺を創建する時に守護神として境内に祀った事に始まる。
 建仁寺建立に際して恵比須神社を最初に建てた事で栄西がいかに厚い信仰をしていたかがうかがわれます。遺言にて自分の墓は恵比須神社正面に建てる様にとの事で、建仁寺境内恵比須神社の正面に開山堂を建立しました。応仁の乱で破壊された建仁寺を再建する際に、寺の西に当たる現在地に移転したが、現在の場所は位置としても開山堂の真正面に在ります。建仁寺と一体の神社でありましたが神仏分離例で現在は独立した神社で京のエベッサン(都七福神札所・唯一の日本神)です。

本殿南
 何時からの信仰か、恵比須神は常時睡眠中として、祈願者は板を叩いて起こしてから願い事をする。夷、戎、蛭子等数種類の字があるが、この神社は恵比須(夷)と記している。
祭神の八重事代主命は大国主命の子であり、神話での国譲りの折に戦いを拒み天逆手(あまのさかて・うらみ)を打って入水した神である。漁師の神として信仰され水死体が打ち上げられると夷と呼び吉祥の表れとして大漁を約束された如く喜び御神体として祀った。魚との物々交換で商売の神に発展してゆくのであるが、この一族は北へ逃れた蝦夷に他無く蝦夷征伐が歴史に残る。
 因みに夷は中国東方異民族が手足を大きく広げて矢を射る姿を現し、戎は西方異民族の矛と十(亀の甲羅)盾を表しているという。蛭子は我国の神話にて最初の子産みで生まれたもので、字の如くとして生まれ葦の船で流され西宮に辿り着いた神であるが、戎神としてある。

常慶庵
 伊勢常慶院に在った茶席を京都の人、徳力富吉郎が茶と切り離せない栄西が建立した恵比須神社に再建して寄進したものです。生垣に囲まれて全景は写す事ができない。



拝観時間:8:00〜17:00・無料・年中無休
車椅子拝観可・社務所申し込み「お手伝いあり」
〒606−0811
京都市東山区大和大路四条下がる小松原町125 
TEL075−525−0005 
京阪四条・阪急河原町・市バス四条京阪

写真撮影:小耳眼
      

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