浄土宗西山禅林寺派総本山
聖衆来迎山・無量寿院
禅林寺

山門

 永観堂と親しまれる禅林寺は、南禅寺から三門を北に回る様に、道なりに行き、左に南禅寺塔頭を見過ごしながら行くと、湯豆腐屋がある。さらに行くと北門を潜り野村美術館、東山高校を過ぎると、この寺の塀が見えてきます。最初の門を過ごして、次に在る門が禅林寺の山門であります。この山門を潜ると駐車場があるり、秋の季節以外は駐車には不自由はありません。しかし、紅葉の永観堂と言われるほどで、季節には参拝者が絶えない事もあり、駐車場は常に満車状態であり、寺の周囲は全駐車禁止で厳しく取り締まられ、他府県の人は拝観を終えて、自分の車に違反の紙が張られているか、レッカー移動の憂き目に会っています。紅葉の季節にはご注意を。  縁起


向唐門・勅使門
 

 かっては勅使をこの門から迎えた。獏の木鼻に雲龍の彫刻を施している。この門の内側は方丈になっていて、この門と方丈の空間には、つねに砂壇が横一直線にしきって、水を表して 、それが浄化を表している。方丈は釈迦三尊を安置して釈迦堂でもある。北側の襖絵には長谷川等伯の虎の姿が威厳を現すが如く見事な姿を見せてくれています。 伝わる話では、宮本武蔵は、長谷川等を師に本格的に絵を学んだという。一乗寺の決闘以後、隠れ住んだという東寺の観智院に武蔵の竹林の襖絵があるが、虎の絵は描き込まれてはいない。竹には虎、その竹林図には虎の居場所である空間がある。虎を描かせれば日本一と謳われた師に対しても、負ける勝負はしなかった。 想うところでは定かではないが、生涯、武蔵は虎の絵は描かなかったと云う武蔵らしい話である。この絵画だけではなく、 方丈の南北には狩野永徳、また、土佐派の絵師達の遺作も見られて、博物館の一角を想わすものがあり、これ等の絵を見るだけでも値打物であると思います。とのかく寺宝の豊富な寺院で、数寄者には春秋の特別拝観が楽しみでしょう。 

御影堂


本堂(阿弥陀堂)
 

「夢庵」
 待合の「夢庵」からの眺めは四季を通じて飽きさせないものがあります。
池泉の傍らには、与謝野鉄幹と晶子、富子が散策した時の昌子の歌「秋を三人椎の実投げし鯉やいずこ池の朝かぜ手と手つめたき」二義せいをもった激しい心を表した晶子の心情を偲ばせている。
 無庵、此処に昭和天皇の御聖歌「夏たけて ほりはちす 花見つつ ほとけおしえ 思う朝かな」が掛かっている事に気が付く人は少ない様です。「三つある(の)は三種で表しています 」
 現在の池泉は護岸石によって囲っていますが、明治の写真では護岸石はなく、池泉の側で車夫がのんびりとキセルをくわえていた。その明治の写真では太田垣蓮月が寄進した弁天堂は既に写っていました。

 

 浴室・温室(うんしつ)が本来の寺院での名称であったが、移り変わりの中で浴室と変わっていく。温室は御存知のとおり農家や植物園のものになってしまい、形を変え名称漢字を継承しています。字の如く、今で云うサウナのような浴室でした。ちなみに、平包(ひらづつみ)と称されたものが平安期にすでに包みの文化として存在していましたが、温室の渡来により座板の熱を和らげるために敷いた布を風呂敷と称したと云います。
今様顕彰碑・山越え一条に在る印空寺の今様副会長を務める前住職・円空瑞元権大僧正が寄贈された直筆の碑です。
多宝塔・龍が天に昇る様を現した臥龍廊を登って、龍の頭部を模した開山堂を少し登ると、京の町が一望出来る場所に建っています。その一望できる鴨川から以東、左に見える都ホテル、右の黒谷、この範囲はその昔、永観堂の寺領であったと云い伝わっています。手前の木々は紅の衣を脱ぎさって閑散としているが、新緑の頃から紅葉するまで、風情を味わって見てください。

更新あり

拝観時間:
9001600 
大人・
600(団500) 高校・中学・小学400(団350)・学生引率者無料・身障者無料(寺宝展中は有料)
車椅子拝観境内は易し、寺内は広大で(工夫して、背負ってでも本堂まで宜しく・・・休み休み)
院内は総て坐した目線で拝観します。
紅葉の季節11月は大人・1000(団900)・高校・中学・小学800(団750)
〒606−8445

住所・京都市左京区永観堂町48 
TEL
 0757610007 
市バス南禅寺・永観堂道

写真撮影:清耳眼
   

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