稲荷神社総本宮
伏見稲荷大社

楼門
楼門・秀吉が母の命乞いために寄進したと伝わる。
 ちなみに、左右の狐が銜えている鍵と宝珠、江戸の花火屋が伏見稲荷を勧請し、鍵屋稲荷として守護神とし鍵屋を名乗り、文化七年(1810)番頭清七が鍵屋から暖簾分けされて分家をする時に片方の狐が銜えている宝珠を譲り受け名も市兵衛と改めて玉屋を屋号にした。
 大川上流を玉屋が、下流を鍵屋と受け持ちを決めたという。
花火の始まりは三囲神社(みめぐり)の風神・雷神に雨乞いをするためであって、これを祭司した事になる花火、と云うほどに江戸の天下にまで信仰を集めている、いや全国に名を馳せている稲荷大社の表顔です。

拝殿と本殿

お稲荷さんで親しまれ、此処に行くのには苦労はしません。JR・京阪電車の駅がこの稲荷の名であります。歩いて、うん分です。
 神社として、和銅四年(711)二月の創建と伝わるが定かではない。秦氏の遠祖秦(はたの)伊呂具(いろぐ)が古くから神奈備山として信仰があった稲荷山の三ヶ峯に社を建立して三柱を祭祀したのが始まりと伝わる。餅を的にして矢を放ったところ、餅が白鳥と化して山頂に飛び立ち白鳥が止まった跡に稲が生えた事から「いねなり社」と命名したと伝わるが、餅を的にする事は富を得た驕りで、秦氏の教訓、驕富の戒めとして五穀豊穣を祈願して創建したのではないでしょうか。


千本鳥居の入り口
 本来は此処からの御山が信仰の根本で、鳥居を潜ってしばらく行くと茶店が在り、いかに信仰者が登ってくるか想像がつく、社殿は山頂に上中下と三社を構えそれぞれの本宮は山上に在ったと伝わるが、応仁の乱で焼失し明応三年(1494)に現在地に本殿を造営し、同八年に別殿であった三社の相殿として遷宮して御山から降りてきた。
 興隆を成している神社・それに関わらず社殿はお山から麓に降りて来る大方の神社の傾向で参詣を楽にさす工夫であろう。麓から山に登った神社は京都では建勲(けんくん・たけいさお)神社しか知らない。

順次更新します

拝観時間:自由参拝無料

「授与所(7001830)祈祷(8301630
車椅子可(介添人要・石段は工夫して、千本鳥居は途中まで可))

6120882 京都市伏見区深草藪之内町68 TEL0756417331
市バス伏見大社前・JR稲荷駅・京阪電車伏見稲荷


写真撮影・小耳眼


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