天台宗
華頂山・元慶寺

山門
左右に梵天と帝釈天
 
  元慶寺の始まりは、清和天皇の第一皇子、貞明親王(陽成天皇)の誕生の翌年、貞観十一年(869)僧正遍照の発願により親王の母藤原高子が創建した花山寺を、元慶元年(877)に陽成天皇によって定額寺に列せられて年号寺、元慶寺と改めました。この年に遍照は権僧正に任じられ、次いで光孝天皇の即位の時に寺領と共に僧正の位を与えられ、輦車で宮中に上る事を許された。ここに、世に花山僧正、僧正遍照と称さるようになったという。僧正遍照の俗名は良峯宗貞、父は桓武天皇の皇子大納言安世であり、仁明天皇とは従兄弟になり寵愛を受けていた。仁明天皇が崩御されていなければ宗貞の人生も変っていたかもしれない。
きわめて洒脱で歌上手な上、美男子で、女人をからかう歌を詠みながらも、三十六歌仙のお一人でもあり、小野小町の逸話である深草少将のモデルといわれる人でもある。くわえて、世の知らない者はない、「天津風雲の通ひ路吹きとじよ乙女の姿しばしとどめむ」は、百人一首十二番目に記せられている。
又、この寺は、寛和二年(986)に女御祇子(ぎし)の死に悲しむ花山天皇を、藤原兼家らの策謀により、当寺に連れ込んで出家を促して退位させられた所でもあります。
この事が、余生を観音霊場の復活に捧げる事になるとは、本人さえも、誰もが想像しなかったでしょう。
 西国観音霊場番外札所

本堂・本尊薬師瑠璃光如来

山門より中を写す

境内より
 寺観は創建時代とは異なるであろうが、歌心の寺とでも言うか、女性的な観から抜けられない感じがして、歌の寺・花の寺であろう。

元慶寺の花々

拝観時間:8:00〜17:00・無料・車椅子拝観介添人同伴可
〒607−8476
京都市山科区北花山河原町13 TEL075−581−0183 京阪バス北花山

写真撮影:清耳眼・小耳眼
    

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