| 真言律宗 | |
| 高雄山・岩船寺 | |
![]() 石風呂 |
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| 山門前に、寺名に因む石船、(入寺の折に、身を清めるためのもの)が置かれているが、岩船寺の名も元とは俗称で、来世への定期便の様な役目をしていると云う。 | |
![]() 山門 |
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当寺の創立は聖武天皇天平元年(729)に、出雲国不老山大社に御行幸ある時、御夢想によって大和国鳴川善根寺に籠居しておられた行基菩薩に勅して、一宇の阿弥陀堂を建立なし給い、そして後弘法大師の姉の子である智泉大師が、此の堂に傳法灌頂を修されて灌頂堂となる。 大同元年(806)智泉大師、報恩院を建立される。嵯峨天皇が智泉大師に勅して皇孫誕生の祈願をされ、皇子の誕生を見るに至り、このお方が、後の仁明天皇である。皇后御叡信深く御本願によって、弘仁四年(813)癸巳、堂塔伽藍を建立せられ岩船寺となした。 |
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![]() 本堂 |
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| 隆盛時には寺塔三十九坊あり境内四域十六町の宏壮を誇る坊舎であったが、承久三年の兵火によって過半焼失した。その後再興されし堂宇も、世変悪化再度の兵火によって衰運に向かっていった。寛永年中頃には本堂、塔、鎮守両社坊舎十軒を数える程であった。あまりの荒廃に当文了律師は嘆き、御勧進によって本尊及び本堂修復復興につとめた。 | |
![]() 石室不動明王・鎌倉時代(重文) |
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| 重文石彫半肉立像 高さ三尺五寸 応長第二初夏六日願主盛現の銘あり。 | |
![]() 五輪塔・鎌倉時代(重文) |
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![]() 十三重石塔・鎌倉時代(重文) |
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| 正和三年(1314)当寺五代の住僧妙空僧正造立さられたと伝えられる. | |
![]() 三重塔・鎌倉時代 |
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| 三間四方、本瓦葺、高さ約20.5メートル。簡素な造りではあるが室町期の特長がみられる。 三重塔は淳和天皇天長二年(825)智泉入滅の後、五十年を経て承和年間、仁明帝が智泉大師の威徳を深く御叡信あって一宇の宝塔を建立されしと伝えられる。三重塔の隅垂木を支える力士はよく見るが、珍しい天邪鬼が支えている。仏教には天邪鬼は関係ない。神ではないが、密偵・天探女(あまのさぐめ)に見張らせているのかも知れない。 |
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本堂内寺宝 「重要文化財」 木造阿弥陀如来座像 厨子入木造普賢菩薩像 本尊・阿弥陀如来座像 (藤原初期) 岩船寺本尊 一木造、漆箔の丈六像、密教系の阿弥陀如来。 胎内墨書銘から946(天慶9)年の制作としているが、貞観彫刻の伝統が見られる。 第六十二代村上天皇天慶九年(946)高さ九尺三寸九分作者行基と伝う. 丙 丁 □□ 九月二日 梵字奉書あり 午 丑 四天王立像(鎌倉中期) 持国天(東)増長天(南)広目天(西)多聞天(北) 多聞天岩座框裏に「願主権小僧都英春木造四躯「工匠法橋頼調正応六年(1293)癸巳六月日」の銘あり 普賢菩薩騎像 合掌して白象上に坐す姿、表情が柔らかな藤原仏。 厨子入智泉大師作 座高一尺二寸白象に坐した秀作である。 厄除地蔵尊像 その他 十二神将像(室町) 十一面観音立像(鎌倉) 薬師如来像(室町) 唐金鈴(鎌倉)二個 天神菅原道真像(室町)学問の神様 鬼面(藤原時代)一面 (鎌倉時代)一面 共に岩船寺の厄除祈祷面として有名 |
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拝観時間・8:00〜17:00・12月〜2月は9:00〜16:00まで 一般300(団割無)・高校・中学250(200)・小学150(100)・団体50名以上・引率者無料 車椅子拝観一部可「介添え人要・連絡要」身障者200 京都府相楽郡加茂町大字岩船 TEL0774−76−3390 JR関西本線加茂駅よりJRバス岩船寺行き終点下車すぐ |
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写真撮影・阿耳眼 |
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付近の浄瑠璃寺までの山道散策に見られる石仏 六地蔵石龕(鎌倉時代) 重文高さ三尺七寸 巾五尺 花崗岩製 不動明王磨崖仏(鎌倉時代) “一願不動”高さ五尺三寸 弘安十年(1287)刻銘あり 阿弥陀三尊磨崖仏(鎌倉時代) “わらいぼとけ” 永仁七年(1199) 作者末行(石大工末行は東大寺三月堂前石灯籠の名に見える伊末行の系統大工である)。 阿弥陀 地蔵磨崖仏(南北朝時代) 康永二年(1343)三月十五日作 近くに“カラスのつぼ” 弥勒如来磨崖仏(鎌倉時代) “みろくの辻“文永十一年(1274) |
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