文部省指定史跡
義仲寺

山門
 旧東海道、今は琵琶湖も埋め立てられ、当時の面影はない。この寺は、多くの人達によって源義仲の菩提所・俳句の聖地として今も尚その姿を止めさしているが、真言宗・天台宗と改宗して、その苦労を偲ばす。現在は独立して単一宗教法人としている。
 江戸期には、よほど愛したのであろう、芭蕉がしきりにここを訪れ滞在している。
「木曾殿と背中合わせの寒さかな」、芭蕉が滞在中に弟子の又玄(ゆうげん)が読んだ句であるという。私は翁が死去された後の句だと思っていた。俳句に対する無知が顕である。
 芭蕉は元禄七年(1694)十月十二日、旅の中、大阪御堂筋そばの知人宅で死去、遺言で木曾殿の側に墓を建てた。
 
 私的には、芭蕉死去後長き明和年間の蝶夢法師を除いては、芭蕉の足跡は埋もれていたかも知れないと密かに、素人考えをしている。

巴地蔵堂

身余堂文庫・つるべ・花芭蕉
 世も名も捨てたのか、名も明かさず一人の尼僧が木曾義仲公の塚を守り草庵を建てたのが始まりと云うこの寺は、無名庵と称していた。その名も明かさなかった尼僧は巴御前であると信じられて、巴寺とよばれた。
 鎌倉期には義仲寺と成ったらしい事は、文章にも見られるという。
巴御前は義仲公を置いて戦場から離れる時には、すでに愛しい君の菩提を守るのは私であると覚悟して、後ろ髪を引かれながら、此の世の地獄に向かって馬を馳せたのではなかろうか。

朝日堂(本堂)

朝日堂内
 朝日将軍木曾義仲に由来して朝日堂。
本尊は聖観世音菩薩・木曾義仲公・義高公親子の御木像を厨子に納めている。
義仲公・今井兼平・芭蕉翁・他三十一位牌も安置。
 もし征夷大将軍の位を得てたなら、歴史は変わっていたであろうか、朝廷のしたたかさで、二義性を持って朝日将軍。これほどの働きを持って朝廷からの誠意が朝日、確かに日の出は勢いもあり日照をもたらすが、未だ生まれたばかりのもので未熟を意味する。天皇をはじめ、公卿たちの幽閉は平家がした数をしのいだ、木曾義仲公の不満・怒りであったのだろう。結局、朝廷も思惑違いで鎌倉幕府は遠く都を離れた所で、朝廷の権威は右肩下がりをはじめる。
 かさねて、崇徳上皇の呪いか・・・・朝廷は明治維新まで静であった。

巴塚・佐渡の赤石

木曾義仲公墓

芭蕉翁墓

翁堂

木曾八幡社


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