斑鳩寺

左右に金剛力士を祀る、仁王門。


 
推古天皇の甥である豊聡身(とよとみの)太子(たいし)(聖徳太子)は、推古天皇の為に大乗経典・勝鬘経(しょうまんぎょう)を講讃され、それにこたえて、播磨国揖保郡を太子に贈られたと云う。太子町と龍野市にまたがり、長く法隆寺を経済的に支えた、この莊園の中心に建てたのが、斑鳩寺であるという。此処、鵤莊(いかるがのしょう)旧法隆寺領であった。


本堂
 現在のこの本堂は明和六年(1769)再建したもので、本尊は、薬師如来、釈迦如来、如意輪観世音菩薩(いずれも重要文化財)

斑鳩寺聖徳殿前殿(旧太子堂)

聖徳殿奥殿(前殿の奥)
斑鳩寺聖徳殿前殿(旧太子堂)・太子町指定文化財(平成三年四月1日指定)
桁行五間 梁間五間 単層 入母屋造向拝一間 本瓦葺 寛文五年(一六六五)
聖徳殿前殿は、もと聖徳太子立像を祀っていた太子堂である。本来、五間四方で、内部中央の三間四方を内陣とする。斑鳩寺で最も需要な建造物で嘉暦四年(一三二九)の「鵤莊絵図」に描かれており永祥一六年(一五一九)に政所僧が寺の門を閉め、太子堂に立てこもり、赤松氏の軍勢が鵤莊へ入るのを阻止したとの記録がある。
 なお、太子堂は天分十年(一五四一)に焼失し、同二十年(一五六一)に復興され、その後寛文五年に再建されている。(「斑鳩寺記録」)
聖徳殿奥殿・明治四三年から大正三年にかけて、中殿と写真の八角堂の奥殿を増築して聖徳太子十六歳孝養像を祀る。

聖徳太子立像

斑鳩寺鐘楼
斑鳩寺鐘楼・太子町指定文化財(平成三年四月一日指定)
桁行三間 梁間二間 袴腰付き 入母屋造本瓦葺 銅鐘一口 元禄六年(一六九三)
鐘楼は、石積の基壇上に建ち、楼造で袴腰を設ける。二階内部は大梁の上に牛梁を渡し銅鐘を吊るしている。北西隅棟の鬼瓦に天正二十年(一五九二)の紀年銘があり、{斑鳩寺記録}には鐘楼は天分十年(一五四一)に焼失し、天正三年(一五七五)以後に赤松広英によって再興されたと記されている。 なお、銅鐘は但馬音楽寺から移された永正十一年(一五一四)の鐘が破損したために元禄六年に再鋳したもので、この時に鐘楼の基礎石及び柱を取替えるなどの修理が行われた。

本坊

兵庫県揖保郡太子町

写真撮影・小耳眼



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