日蓮宗本山
叡昌山・本法寺

仁王門
仁王門:執金剛大力神・蜜迹金剛大力神を安置
入り口の石橋は小川が流れていた頃の遺構で現在は水は流れていない。
名水の水脈があった事から、千家(武者小路)・表千家・裏千家が小川通に点在している。

 

本法寺開基、日親は室町中期の僧で応永三十四年(1427)に上洛して四条高倉に弘通所(ぐつうしょ)を創建して洛内弘通を始めた。これが本法寺の始まりで、永享十一年(1439)に事もあろう延暦寺座主を務めた事がある将軍足利義教に説法して投獄される。獄中では焼け切った鉄鍋をかぶらされて拷問をうけ「なべかぶりの日親」と云われた程の豪気さの持ち主ではある。義教は義満の子で、僧義円(ぎえん)時代には青蓮院門主となり、天台座主を務めた人で、男系が絶えたために幕府から還俗を求められ、室町幕府第六代将軍となったが、元、僧としての誇りが残っていた。獄中で知り合った本阿弥清信が上人に帰依して以来、本法寺を本阿弥家の菩提所にした。鷹ヶ峰の光悦寺の本尊はこの寺の本尊を請来したものです。
 現在に移転したのは天正十八年(1590)豊臣政権の時代であります。


門を潜った所から見える多宝塔

表千家・長屋門・紀州候より拝領・文政八年移築
 本法寺の在るこの通りは、小川が流れていて、今はその川の姿はないが、伏流水は今も流れている。その名水が有るこの通りに三千家は並んでいる。此処千家は、この裏に有る千家に対して位置を示している表千家の家名で、武者小路千家もその武者小路通りに在るからの家名である。
 この表千家の門は豪商か見方によっては武家の門を感じさし、詫びを感じさせない。
僅かに屋根正面の瓦に「むくり屋根」を感じさすが、外を窺わす虫篭窓に外の対して無防備では無いことを見せている。

仁王門の向側の裏千家、今日庵
 裏は、表とは対照的に門構えが違う。
三男には紀州徳川家に仕えさせ表の家督を譲り、四男には四国高松松平に仕官、官を辞して、此処から南に僅かに離れ官休庵を建てる。四男には加賀前田家に仕官、宗旦の今日庵を継承している。
 宗旦は自らは中央には出ず詫びさびの世界に生き、息子たちの仕官に奔走して、この様にして三千家の地盤を築いた。
 宗旦は表から裏に引っ越しているのは此方を好んだのであろう、それが今日庵であった。

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拝観時間:
10001600 500均一・行事・年末年始休み・団体連絡要
車椅子拝観一部可
6020061 京都市上京区小川通寺の内上る本法寺前町 
TEL075
4417997
市バス天神公園前または堀川寺の内



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