宝筺院

山門
  元は善入寺と称して、白河天皇創建の勅願寺で、鎌倉時代まで皇室から住持がでていた。室町初期は衰退していたが、夢窓国師の高弟黙庵禅師が中興してより臨済宗となった。室町幕府二代将軍足利義詮が黙庵禅師に帰依して伽藍は整い貞治五年(1366)に観林寺に改名したが、またもとの善入寺に戻した。その翌年に義詮が三十八歳の若さで世をさって、この寺は義詮の菩提寺となり義詮法号をとって宝筺院と改めた。
 応仁の乱以後は幕府からの援助はなく衰退して行き、江戸時代には天竜寺の末寺となり、明治維新には廃寺となっていた。

本堂
  現在の寺観は大正期に復興された。小楠公正行は、当寺中興の黙庵と親しく、死後の事を禅師に託していて、四条畷の戦いで正行が討ち死にした後、首級を黙庵禅師の手により当寺に葬られた。
また、義詮は正行の人柄に惹かれて小楠公正行の傍に葬るように頼んだという。

本尊・千手観世音菩薩
 

庭園
 境内には回遊式と座視鑑賞式二面の枯山水庭が在り秋には見事な紅葉を添えている。

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拝観時間:
9001700 大人・高校400・小中学200
団割なし・団体連絡要・三脚等を持参は拝観不可

車椅子拝観(困難)
6168424 京都市右京区嵯峨釈迦堂門前南中院町91 
TEL075
8610610
市バス・京都バス嵯峨釈迦堂前・京福電車嵐山・JR嵯峨嵐山
写真撮影・小耳眼


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