真言宗
新那智山
今熊野・観音寺

今熊観音寺は、東山泉涌寺の交差点の雑踏を逃れて、東に曲がり、参道から山門を潜ると、さらに静寂な参道が続く。両側には塔頭が建ち並び、それらが一層に五百メートルも離れていない市中と、かけはなれた雰囲気をかもし出す。雑音を打ち消す距離ではないが、静寂を保っているのは、やはり別世界なのでしょう。参道をしばらく行くと、石柱の標が観音寺を教えてくれます。
 泉涌寺の道を尋ねても観音寺を尋ねても同じ道ではあるが、観音寺は泉涌寺の名と通りの良さと劣る事はない寺なのです。一帯には東福寺、新熊野神社、智積院、蓮華王院(三十三間堂)等、主だった寺社が在るのですが、此処今熊野観音を訪ねる巡礼者の殆んどは、それらの寺院には見向きもせずに、次ぎの清水観音を訪ねて行くようです。
 この朱塗りの鳥居橋は歩いて参詣したいが、奥に駐車場が在る事を知るばかりに・・・・今だ下乗のお叱りを受けずに居ます。南無三。
 「新熊野・いまくまの」でしたが(現・今熊野)」新とは霊験あらたかの意です。
西国観音霊場十五番札所


本堂と多宝塔
  この寺に参拝した時は不思議と夫婦連れに良く逢います。嬉しそうに御軸を両手に包み込み、何やら話しているのは、次は清水寺でしょうか・・・・・・聞こえない話ですが、そんな事を云っている様に急ぎ足で参道を引き返しています。
 利生譚の見本はこの寺だけではない、空海の凄さが創らせたのであろうか、次の様に伝えています。空海が東寺に在住の折、この地に霊感により導かれ、翁から一寸八分の観音を授かったと云います。空海はこの翁を熊野権現の化身と信じて、この事を嵯峨天皇に御報告なされ、伽藍建立に至ったと伝わっています。同時に空海自ら十一面観世音菩薩を刻み、胎内に翁より授かった一寸八分の十一面観世音菩薩を納めて本尊としたと云います。嵯峨天皇より観音寺の寺号を賜り、勅願所と定めたのもこの時と伝わります。このようにして、この寺は始まったのが、空海の大きな足跡の一つです。後、永暦の頃に後白河天皇が熊野三所(現和歌山県に在る)を、京都東山に勧請された折に、この寺を紀州・那智山として譬えられて新熊野(いまくまの)観音(かんのん)とされたと伝わります。

大師堂
 ここは泉涌寺の奥に位置して、泉涌寺の元をなす空海開基の法輪寺と同じく、空海が東山に進出して来た跡です。二大平安仏教の真言宗の空海と言われながら、空海は完全な奈良の僧です。
すでに延鎮も清水寺に奈良仏教の拠点の基礎を固めていました。

拝観時間:8:00〜17:00・無料・車椅子拝観は介添人同伴本堂下まで可
(工夫して、背負ってでも本堂まで宜しく)
〒605−0977
京都市東山区泉涌寺山内町32 
TEL075−561−5511
JR・京阪阪東福寺駅・市バス泉涌寺


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写真撮影・小耳眼
     


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