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平成の佐竹本三十六歌仙絵巻第二巻内 右方(六)

小野小町(おののこまち)女流歌人

 

いろ見えでうつろうものは世の中の 人のこころのはなにぞありける

 色はないけれども色が褪せるものは、それは世の中の人の心の花というものですよ、あてにならない人の心を花にたとえた知的な歌である。

 六歌仙の一人で、平安時代を代表する大女流歌人で生没年はくわしい経歴はわかっていません。参議小野篁の孫で、小野道風の従兄弟と、出羽の国(秋田県)の郡司小野良実の娘だとも伝えられているが、確証はありません。たいへんな美人といわれ、後世「小町」は美人の代名詞。姿よし、才も麗しく、心清く、立ち振る舞い、何処に批をうつ隙もなく「小野小町の欠點(あな)なし」と謳われた。

貫之が「古今集」の序に女の歌の代表として小町を論じたとき代表歌としてあげた中の一首。後に定家によって「百人一首」にえらばれた代表歌は、「花の色は移りにけりないたずらにわが身よにふるながめせしまに」であったが、この歌が、「百人一首」に流布するまでは小町の代表歌はこの「いろ見え」の歌であった。一首の中では、春の花の移ろいは目にも見えるが、人の心の花がいつともなく変化してゆくのは、その色も見えぬと歎かれており、そこが、比喩の巧みさとともに人々の身にしみる共感を誘うところである。
 貫之は小町の歌を衣通姫の流れであると評価し、人待つ女のたおやめぶりの優艶と嫋々たる物言いの弱さを指摘しているが、中世初頭のすぐれた女流とみられる「無名草子」の著者は「女の歌はかようにこそ覚えて、そぞろに涙ぐましくこそ」と、女流の歌の高い指票として評価している。
 小町の伝記はよくわからないが、仁明天皇後宮を中心として活躍がみとめられる女人で「小町集」をみると、ある高貴な人を対象としたと思われる「夢」にのみ逢う恋の歌、交流のあった男性たちとの奔放な贈答歌などがあり、いわゆる六歌仙時代を代表する大女流としての風格がみえる。美麗な装束が花やかに美しく、動的で、小町の容貌の美への想像力をいっそう刺激してやまない、それにしても、似絵の天才といわれた藤原信実でもさすがに日本一の美女小町の顔だけは描けなかったのだろうか。三十六歌仙の中で、この 佐竹本だけが後姿である。 花の色は移りにける前に、若くして宮中を後のした小町の生涯は謎である。また、宮中に居た時より、反骨精神を垣間見せ、後姿の姿絵には理解し難い小町の生涯も含めた姿を表しているのではないか。 あたかも、蝶が羽を広げて飛び去るさまに見えて仕方がなく、その後に心を残すのかわずかな横顔。藤原信実の奥深い想いが想像をかりたてる。 只たんに小町を描くのであれば、絶世の美女の面なら天才といわれた藤原信実は 逃げることなく、挑んで描き残したはずである。

        花の色は移りにけりないたずらに
                吾身世にふるながめせしまに
                                百人一首・九

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