| 天台宗 |
| 刀田山・鶴林寺 |
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物部氏ら排仏派の迫害を逃れて高麗(こま)の僧、恵便(えべん)法師はこの地に身をかくした。その教えをうけるため、聖徳太子は法師(ほうし)を探し、この地に来られた。秦川勝(はたのかわかつ)は太子の命により、三間四面の庵を建立し、刀田山四天王寺聖霊院(不明の門)と名付けられたのが鶴林寺の前身であると伝えられている。
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寺名が鶴林寺と名を変えられたのは、釈迦牟尼涅槃のときに、沙羅樹が、鶴の羽のように真っ白に枯れたという言い伝えから、天永3年(1112年)鳥羽天皇が「鶴林寺」の勅額を下賜し、勅願所に定めらた時からという。鎌倉時代、高僧達の太子信仰が盛んになり、太子の縁深き鶴林寺は、寺坊30数ヶ坊、寺領25.000石、楽人数十名が太子の命日には舞楽を奏していたといわれたが、残念ながら戦国時代には、信長、秀吉らの弾圧、さらには江戸幕府の徳川家から厳しい宗教政策のため、衰退は免れなかった。 |
![]() 本堂・大講堂・室町時代・国宝 |
| 本尊:秘仏・薬師如来・脇士・日光菩薩・月光菩薩・持国天・多聞天 お前立ち:日光菩薩・月光菩薩・十二神将 この本堂の創建は、室町時代、南北朝統一後五年、応永四年(一三九七)第百代、後小松天皇の御世である。 和様と云っても唐様(禅宗様)が上陸するまでの建築方法であり、云えば中国建築であるが、和様・唐様と折衷様の代表作であると云われている鶴林寺の本堂。 山門を入ると正面に在るのが、本堂を見るとその違いが一目で解かる。柱の間隔が七間、密教建築には珍しく、その総てが開放的に扉を設えている。内部も天竺様(大仏様)と唐様で纏めて豪壮な装飾が見られる。建築物に興味の有る人は必見。 |
![]() 太子堂(法華堂)平安時代・国宝 |
| 太子堂・本尊:釈迦如来・脇士:文殊菩薩・普賢菩薩・四天王 堂内の板塀に聖徳太子像が描かれているところから、太子堂と呼ばれる。須弥壇は四天柱に護られて、釈迦三尊が安置されている。西方にある常行堂と対をなす天台宗最古の法華堂。現在の入口あたりは、当初のものに継ぎ足したものと言い、本尊を拝する局の様になっている。この堂内は、灯明の煤に隠れ肉眼では見えなくなった仏画がある。近年赤外線で撮影に成功。平安時代後期、鳥羽帝の御世に建立と言う。 |
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| 常行堂・本尊:阿弥陀如来 朝題目に、夕念仏。後年、宗旨替えを風刺した言葉に取られているが、信仰の基本形であると言う。朝は、法華堂で法華経を読して学び、夕べには常行堂で念仏を唱える。 近年は主に、先祖供養や、施餓鬼会などに使うが、本堂をはさみ、西に位置して、対である東方の法華堂(太子堂)と向い合っている。 昭和十四年に解体修理が行われた時、この床下から、参十首も髑髏が見付かったと言う。修理後は、元の場所に埋め返したというが、どのような人や事情は解かっていないとの事。戦国時代の犠牲者で有ろうとのことだが、寺の格、場所などを考えると、寺に対して功績のあった人、もしくは、鶴林寺の縁者か。 この常行堂は、法華堂(太子堂)とほぼ同時代の、平安時代建立で、現在は瓦葺であるが、太子堂と同じく、桧皮葺であった。 |
![]() 新薬師堂 |
![]() 新薬師堂・本尊 |
| 江戸中期のころと言う、大阪の医師津田氏が薬師詣でに来て見れば、秘仏にて拝観できず、残念な思いで帰ったそです。後日、何時でも尊顔を拝めるようにと発願して建立したという。仏像の年代は江戸期として疑問があるが、いずれにしても、今は昔の話。 |
![]() 観音堂 |
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観音堂・本尊:聖観世音菩薩 |
![]() 護摩堂 |
| 護摩堂本尊:不動明王・永禄6年(1563)建立 |
![]() 講堂 |
![]() ・室町時代・重要文化財 |
| 鐘楼:本堂と同時代建立、袴腰造りで中には高麗中期の朝鮮鐘(青銅梵鐘)。 梵鐘の頭に音響効果をもたらす為か、筒状で煙突のようものを設えてあり、この為か「黄鐘調」の音色は有名。 |
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| 三重塔・本尊:大日如来坐像・三間三重、本瓦葺、初層は文政元年(1818〜1830)の大修理の際、ほとんどが新材で補修された。室町期の建築を各所に伝え、江戸末期の補修の際に寄進者の名前が、扉の内側に墨書や刻したりして残っている。 |
![]() 三重塔初層の屋根、裏鬼門の位置、 珍しい三面鬼瓦。 |
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| 不開の門跡
・廃仏派の物部氏に追われて、高麗僧である恵便(えべん)法師はこの地に逃れて身を隠していた。太子は後を追い、教えをうけたという。その折に、この地の人々が突然の太子の訪問に、取り急ぎ丸太で庵を設えたと言う。太子が帰った後、門を開けることなく、そのまま朽ち果てたと言う由来から、不開の門、不開の門跡と呼ぶらしい。 何故かその跡地を塀に昔の名残として継承とし、それらしき容を残している。 |
![]() 行者堂・行者堂:室町時代・重要文化財 |
| 行者堂本尊:神変大菩薩(役行者) 明治以降、役行者を祀り行者堂としているが、元は、日吉(ひえい)神社(山王権現)を勧請して建立したもので、前面を春日造、背面を入母屋造のお堂で、様式としては最古級という。神仏習合を継承している寺の一角である。本堂と同じ室町期の折衷様式である。 |
寺宝 |
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「金銅聖観音像 一躯・白鳳時代・重要文化財」、ちなみに、この観世音菩薩像は日本の観世音を代表して海外に紹介、渡海している。 「薬師三尊と脇士 五躯・平安時代・重要文化財」「十一面観音: 一躯・平安時代・重要文化財」 「釈迦三尊: 三躯・平安時代・重要文化財」「鶴林寺勅額: 一面・平安時代・重要文化財」 「青銅梵鐘: 一口・高麗時代・重要文化財」 他、宝物二百数十点所蔵 |
拝観時間:午前八時〜午後五時・境内自由拝観・太子堂と鐘楼の拝観は電話予約要 車椅子拝観可(本堂・太子堂は背負って可・鐘楼は不可) 〒 675−0031 兵庫県加古川市加古川町北在家 424 TEL 0794−54−7053 FAX 0794−22−6299 鉄道で参拝の場合・JR 加古川駅下車 神姫バス5分山陽電鉄尾上の松駅下車 徒歩約20分 車で参拝の場合・加古川バイパス加古川下車焼10分・山陽自動車道 小野・三木下車30分 国道2号線からすぐ |
写真撮影・小耳眼 |
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