真言宗・山階派大本山
勧修寺

山門
  勧修寺の地名に、今もその存在を示している代表的な寺院です。山階村に存在した事から、山階派(やましなは)と称している。東南の一帯にある真言宗を、小野六流と言い、西北一帯にある真言宗を広沢六流と呼ぶ。 称して「野沢・やたく」十二流、その一つの東南にある流派である山階派のこの寺は、醍醐天皇の生母藤原胤子(いんし)の本願により創建、醍醐天皇の勅願寺として、天皇等身大の千手観世音菩薩を本尊にしたのが始まりです。兵火によって総てが焼失したが、その後、徳川家や皇室の援助によって復興した。
 鎌倉期、後伏見天皇の代七皇子寛胤法親王(ほっしんのう)が入寺してからは、明治維新まで法親王が入寺していた門跡寺院であり、その寺領は広大なものであったといいます。名の通った寺にしては、普段は静かで、ゆっくりと満喫できるでしょう。寺の山門に至る参道は、寺と云うよりも、漆喰の塀に挟まれて、城の雰囲気を漂わしている。
 帰りには、入る口に在る勧修寺御朱印所の、仏光院に是非寄って見て下さい。いっそう生きる活力を得るでしょう。

境内前庭(拝観口)
  勧修寺の発音は、寺、家、地名で異なります。この一帯の地名を「勧修寺・かんしゅうじ」といい、広大な土地をこの寺が支配していました。この寺自体を「勧修寺・かんじゅうじ」云い、醍醐天皇の外祖父藤原高藤の子定方(さだかた)(胤子の弟)が、この寺を一門の氏寺と定めて「勧修寺家・かじゅうじけ」を名乗ったのです。
 京の地では、藤原家の縁がある寺院の中でも、由緒ある歴史を持っています。

明正殿

勧修寺型燈籠と、はいびゃくしん
 雪見燈籠に意匠を加えた勧修寺型燈籠(光圀寄進)を取り巻く偃柏槙(はいびゃくしん)

明正殿の外廊

臥龍の老梅
 平庭に点在する臥龍の老梅、観音堂、織部灯篭や蹲踞、昔を偲ばす鬼瓦等、その他に探せば昔を偲ばせてくれる物は沢山ある。


観音堂

法輪の鬼瓦

弘法大師銅像

山桃の老木

枯れ蓮の氷室池
 この池泉は、氷室池と称する様に、冬には分厚い氷をはり、氷室の如し氷を蓄えていたのでしょう。その氷の厚さによって、その年を占ったとか。平安時代は、南に広がった大きな池泉庭で、翠微滝(すいびのたき)は、今では涸れ滝になって、中島の数も昔を偲ばさない。江戸時代の平庭と、この池泉から勧修寺の庭園は成り立っている。


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拝観時間:
9001600 大人、高校共400(団320)・小中学200(団160
車椅子拝観可
〒607−8226

住所・京都市山科区勧修寺仁王堂町27−6 
TEL
 0755710048 
地下鉄小野駅・京阪バス勧修寺

写真撮影:清耳眼
     

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