| 観国之光利用賓于王 |
| 中国古代周の易経から。 易の性格上、玉虫色の表現であるが、貴方は見るところによると、王が国賓を集めて宴を開くときに招かれる人になりでしょう。正確ではないが、だいたい、この様な意味にも多く使われたらしい。 後には、漢の時代に、玉虫色表現から脱して、字の意味を重視して、現在の観光の意味になった。・・・・・・・らしい。「くにのひかりをしめすはもっておうにひんたるによろし」各国の訪問者が、学びあう事が出きる物をもつのは、国の光を示しすことであり、それらは、各国の王には賓となる。 我国の場合、たとえば、伊勢参りをかわきりに、西国観音霊場をするにあたっては、大店の家族は実費でいけるが、町民や、農民は、講によって、それも籤引きと云う方法をとって、代参のかたちであった。 四〜五人ぐらいであると、書物で読んだ事がある。金額にしたら、かなりのもので、現在の旅行費等は比ではない。巡礼だけの代参ではなく、町人には商い方法、扱う商品、製造方法。農民のは農作物の種、等々、学び取る事は、すなわち、その町村から技術等を盗み取る事で、代参に出かけた人数が全員無事に帰る保障はない。都などは学び取る宝庫であった。 古の人は、命がけの観光をしていた事は間違いなく、我々と違って、物見遊山ではない。 しかし、物見遊山もあなどれない。我々には、味わい偲ぶと云う余裕が持てる幸福な時代が後押しをてくれている。 |
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