西岩倉山・金蔵寺

仁王門
  どの寺にも利生譚があって、この寺も伝わるところでは、養老二年(718)隆豊が入山した折に翁が現れ矢をもって樟を射抜いたら、矢が当たった所から光明を放ち、この樟をもって翁と二人して天狗の爪で千手観世音菩薩を刻み本尊にしたという。この翁が日向明神の化身と云うから、明神の刻んだ観音となります。この日向明神は願徳寺の本尊薬師如来の誕生にも登場して来る明神で、霊験新たかな像を刻んでいる。その霊験新たかさは、清和天皇御病気の平癒を祈願するために願徳寺から道昌に連れ去られて、一時期広隆寺において、弥勒菩薩に代わって本尊と成った事がある程だ。この寺に至るまで、少々寺の存在が不安になる程度に、山道を車で行くと駐車場まで備えていた。植栽を見たら楓が多く、秋にはこの駐車場も役に立つであろうが、この日だけであろうか、私の車一台だけであった。おかげで静に満喫できたが、傷んだ本堂の写真を撮るに辛いものがあり、裏より遠めに写したが、やはり屋根の波打つ部分は隠しえなかった。去る時には寺の維持に、いちまつの不安を感じたが、私だけではなかろう。
個人では如何にもし難い、残るべきものは残ると信じて無責任を装って去るしかなかった。

本堂

開山堂
寺号の金蔵寺は金剛界・胎蔵界の両部からの所以で、聖武天皇より宸筆の勅額を賜っている。山号の西岩倉は桓武天皇によって平安遷都の西の岩倉(磐座)として法華経を納経した事によると言う。
 歴史の流れの中、衰退していた寺を慈恵大師良源の弟子賀登が中興したが、兵火や火災で伽藍は悉く焼失した。江戸期になって貞享年間(1684〜1688頃)将軍綱吉の生母桂昌院が復興させ、明治維新の時に子院六坊と合併。

権現堂から見た石段と朱鳥居

愛宕大権現:本尊・火防勝軍地蔵愛宕大権現
  神仏分離令で廃された愛宕山白雲寺の勝軍地蔵が当寺に移され、現在は本堂の背後上に安置しています。この地蔵は明智光秀、豊臣秀吉、徳川家康ら武将の信仰を集めていた地蔵で、本能寺の変の前に光秀が愛宕山で何事か祈願した事は世に知られている。

桂昌院廟所

三の滝
桂昌院廟所:本堂横の小高い所に建っている。寺は桂昌院の家柄は、将軍家に嫁ぐに付いて藤原家に養女となった関係で、この御方の意に沿ってか、藤原鎌足の末裔として伝えている。
三の滝:境内には一の滝、二の滝、三の滝と三筋の滝が在る。この滝は日向明神が産まれた滝と云う事から「産(三)の滝」と称している。

拝観時間:
8001700 志納金200・車椅子拝観不可
6101134 
住所・京都市西京区大原野石作町 
TEL 0753310023 
京都交通バス長峰・阪急バス灰方

写真撮影・小耳眼
      


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