| 曹洞宗 | |
| 仏徳山・興聖寺 | |
![]() 総門 |
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![]() 参道(琴坂) |
![]() 山門 |
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久我家の出である道元禅師は中国での修行を終えて、我が国は初の曹洞宗伽藍を興したのは嘉禎二年年(1236)深草に創建したが、この地に移転してきた。 かねてから静寂の地を求めていた道元は、越前の領主・波多野義重に請われて、深草・興聖宝林禅寺をさって越前に赴いた。深草・興聖宝林禅寺は道元が去った後も数代続いたが、荒廃著しく雑草の住処と化していた。越前において大仏寺が創建されて、道元が住持して永平寺と改名した。まさに静寂の地で道元の本領が発揮できたであろう。 現在も脈々とその威徳を継承して全国に名をはせている永平寺、移転はしてもこの興聖寺がその元を成している。 |
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![]() 鐘楼・山門中 |
![]() 秋葉大明神 |
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この興聖寺も、その歴史は考えてみれば、荒廃したまま朽ち果てる運命であったが、仏縁と云うのであろう、寛永年間、淀城の主、永井信濃守尚政がその荒廃振りを悲しみ、再建を決意して自らの菩提寺にした。伏見城の解体時に木材を請い、伽藍を整えて、中興の祖に大阪住吉の臨南庵より万安英種禅師を請うた。 遺されるべきはこの様な事であろう。 |
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![]() 僧堂前北庭 |
![]() 僧堂前南庭 |
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曹洞宗も密教を採り入れて、なお興隆をなし現在に至るが、やはり他に違わず中国思想がよく目立つ。 その一つであろう、南庭には大きな霊亀か臥していた。 |
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![]() 法堂(本堂) |
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![]() 老梅庵(開山堂) |
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| 石橋を渡って開山堂(老梅庵)の、この石橋の下は、よほど雨でも降らない限り枯れている。しかし、苔むした庭がこの下にある。大雨は辛いが、水が溜まると苔底が翡翠色を強調して、本来の水を表す役目を誇示しているのではないか。地形状の想像でそれを未だ見たことはない。 | |
![]() 老梅庵側庭 |
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| この枯山水も山肌から水が流れ出せば・・・・・施している水はけの道では間に合わないであろう。その時にはこの庭はどの様な顔になるのであろうか。 | |
![]() 法堂裏池泉 |
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奥に滝組をして不自由なく池泉を満たしている。山肌の石組も複雑であるが、庭師の意匠に叶っての事であろう。 橋の変わりに大きく沢渡りを打っている、あまり時間を割くことができずこの場を去ったが、大名庭園が縮小された観があった。 |
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拝観時間:5:00〜18:00・境内自由拝観 特別拝観は志納金として瓦を納める(¥300以上)・車椅子拝観不可 〒611−0021 京都府宇治市宇治山田27−1 TEL0774−21−2040 |
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