松尾大社

鳥居
当神社の鳥居には略すことなく十二の脇勧請を注連縄に吊るしています。
十二月、一年の占いです。
 


  当社は京都最古の神社で、太古この地方一帯に住んでいた住民が松尾山の神霊を祀って生活守護神としたのが起源といわれます。五世紀の頃朝鮮半島から渡来した秦氏がこの地に移住し、山城・丹波の両国を開拓して河川を治め農産林業を興しました。同時に松尾の神を氏族の総氏神と仰ぎ、文武天皇の大宝元年(701)には山麓の現在地に社殿を造営されました。


楼門
  都を奈良から長岡京、平安京に遷されたのも秦氏の富と力によるものとされています。従って平安時代当社に対する皇室の御祟敬は極めて厚く、行幸数十度に及び、正一位の神階を受け、名神大社、二十二社に列せられ、賀茂両社と並んで皇城鎮護の社とされました。
 室町末期までは、全国十数ケ所の荘園、江戸時代にも朱印地一、二〇〇石、嵐山一帯の山林を有していました。

本殿
楼門と本殿
 本殿は、大宝元年秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勅命を奉じて創建以来、皇室や幕府の手で改築され、現在のものは室町初期の応永四年(1397)の建造、天文十一年(1542)大修理を施したものです。
建坪三十五坪余、桁行三間、梁間四間の特殊な両流造りで、松尾造りと称されています。箱棟の棟端が唐破風形になっているのは他に類例がなく、柱や長押などの直線と屋根の曲線との調和、木部・桧皮の色と柱間の壁の白色とが交錯して醸し出す色彩の美しさ、向拝の斗組・蟇股・手狭などの優れた彫刻意匠は、中世の特色を遺憾なく発揮しており、重要文化財に指定されています。また本殿につづく釣殿・中門・回廊は、神庫・拝殿・楼門と共に江戸初期の建築と伝われています。

御祭神

大山咋神(おおやまぐいのかみ)
 大山咋神は、古事記に「大山咋神またの名は山末大主神、此神は近淡(ちかつあふ)海国(みのくに)の日枝(ひえ)山に坐し、また葛野(かどの)の松尾に坐す鳴鏑(なりかぶら)を用ふる神なり」とあり、山の上部(末(すえ))に鎮座されて、山及び山麓一帯を支配される神であったと伝えられています。
建速須佐之命の孫にあたり、上賀茂別雷神の父神ですもあります。

 

中津島姫命(なかつしまひめのみこと)
 中津島姫命は、市杵島姫命の別名で、古事記に「天照大神が須佐之男命と天安河を隔てて誓約(うけび)された時、狭霧の中に生まれ給うた。」と伝えられる神で、三つに折った建速須佐之命の剣を天照大神が噛み砕き息吹いた霧の中から三女が生まれた。ちなみに、その息吹いた事で伊吹山が残され、市杵島姫(いちきしま)の、いを省いて音便によって(ちくうしま)となって竹生島がある。
福岡県の宗像大社に祀られ、三女神の一神として、古くから海上守護の霊徳を仰がれた神で、 建速須佐之命の子です。

御旅所
松尾大社神幸祭、この祭りは四月二十日以降の第一日曜日に執り行われる、京都には珍しく庶民的な雰囲気がある祭りで、一トンの神輿が六基登場する。吉祥院から榊と御面が到着すると出座式を行い、神前に据え神霊を移す、この時、松尾大社本殿では舞の奉納が行われる。一番の長旅は御渡で桂川を船で四基渡り、此処、西七条御旅所まで、ここで神幸祭は終わる。
賀茂蔡と同じく葵の葉を身に付けて西の葵祭りと別名をもつ。

拝観時間:
9001600・日・祝は9001630 境内自由参拝
宝物館・神苑拝観・大人500(団350)・中学高校大学400(団300)・小学300(団200) 
団体30名以上・車椅子拝観不可(石段の工夫をして、車椅子を移動させれば、境内は平地です)
6160024 京都市西京区嵐山宮町3 
TEL0758715016
市バス・京都バス松尾大社前・阪急電車松尾



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