| 天台宗 | |||
| 御嶽山・清水寺 | |||
![]() 仁王門 |
|||
| 法道仙人が開基の花山院(菩提寺)から、この仙人の足跡を辿る様に朝光寺・一乗寺までの道のりの途中に位置して在る清水と名乗る寺院の最古、都から遠く離れたこの地に推古朝にこれ等の寺院が建立された事の意味を考えると仏教寺院ではあるが、元伊勢を将棋の駒のように点々と移動させた事と重複している観が私の中で拭いきれない。元伊勢は各地を移動しながらそれらの地を征服して現在の伊勢に落ち着いたのであろうが、これ等の点在している寺院は仏の浄土として都の威厳を知らしめている。この寺院は京の皇城の鬼門を護る滋賀延暦寺に良く似て自動車専用道路が写真の仁王門の前まである。ある意味では比叡山通りぬけの自動車道より、この寺院の為だけの自動車道路である事が寺の力強さを感じさしてくれる。 | |||
![]() |
|||
| もともと奈良の勢力の寺であったものが、天台宗になった清水根本中堂は、延暦寺の下がった位置に在る根本中堂と違い上に登ったところに建立されて始めからの形式の違いを見せています。天台宗がこの清水寺を取り込んだことで、京の清水寺を制する事が出来なかった事が、ある意味で内面的に制した事に等しく成ったのではないか。 | |||
|
|||
| 根本中堂・開基法道仙人は、天竺、つまりインド国の僧であるというが、記録が定かでない故にその伝説は強く印象付けられるものが多く残っている。この寺は、推古天皇の勅願により根本中堂を建立、十一面観世音菩薩像、脇侍毘沙門天王像、吉祥天女像を刻んで安置したのが始まりと伝わっています。寺号の清水寺は、法道仙人が祈祷により湧き出させた霊水に由来して、今も枯れることなく滾々と湧き出ています。観音様のもとにはおおむね水が付き物である。 | |||
![]() 大塔址 |
|||
| 大塔址:本尊五智如来でした。 保元二年(1157)祇園女御が建立した雄大な建築物でしたが、昭和・大正と火災・台風と度重なる不幸で消失しました。 |
|||
|
|||
| 薬師堂・創建・平安時代・池ノ禅尼寄進(平忠盛妻)薬師堂内 本尊・薬師如来坐像 | |||
|
|||
| 地蔵堂・後白河法皇創建の常行堂址・創建・昭和地蔵堂内 | |||
![]() 大講堂 |
|||
|
大講堂・聖武天皇の勅願により行基菩薩が大講堂を建立して、千手千眼観世音菩薩、地蔵菩薩、毘沙門天王を安置した。平安京の征夷大将軍坂上田村麿が蝦夷征伐に際して千手千眼観世音菩薩、地蔵菩薩、毘沙門天に祈願して、此れを山背国(やましろ)清水寺に勧請して自ら刻して私寺にしたのが、音羽山・清水寺である。その私寺の住職が後の延鎮である、賢心であった。 田村麻呂は、現在も国重文として保存している太刀騒速(そはや)(機敏に働く刀)を奉納した。この寺から何かを都で・・・させたのは間違いない。日本三清水寺「播州・京都・坂東」何れの寺も田村麿が縁の寺で在ります。 「観音様は妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」に、御登場たした観世音菩薩に因み、この寺は二十五番札所であります。 |
|||
![]() 滾浄水(こんじょうすい・おかげ井戸) |
|||
| 寺号の由来する聖浄水、開山法道仙人が水神に祈願して湧き出した水と云う。 この井戸の水面に自分の顔を映したら「寿命が三年延びる」と云うおかげの井戸と呼ばれています。私は五回御参りして毎回映したから十五年かな。 |
|||
![]() 伽藍跡の石垣と石段 |
|||
| 古事記の最後に登場する推古朝の勅願所、その時代のものかどうかは別にして、清水寺の歴史の一部を垣間見る石垣の風景、その壮大さは現在見る事は出来ませんが、其れでも妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五に譬えられる二十五番札所の勤めは充分に果たす寺観は整えている。征夷大将軍坂上田村麿が祈願した「千手千眼観世音菩薩、地蔵菩薩、毘沙門天」この尊像三体を山城国に勧請した話を今に、密かに伝承さす播州清水寺。 | |||
| 車椅子拝観一部可 |
|||
写真撮影・清耳眼 |
|||
戻る トップページ |
|||