真言宗
極楽山・浄土寺

南口・この石段を登ると、左に阿弥陀堂が在る。
 花山院から清水寺、朝光寺を経て小野に入るまで田園風景の中を走る様にして、家屋も在るが昔の日本の風景が続くその中に、この寺は在る。五度目にして撮影したのですが、昔は西日が落ちる時に雨水の溜まった田に反射した光が長く三尊の後背を照らし来迎の様を見せた。現在では田は駐車場になり、直接の夕日でその様を見れるに止まっているが、その時間が短縮されただけで、床を走る夕日の光は速く、光背の光は衰えてはいない。
 鎌倉時代に、東大寺再建を果した俊乗坊重源建立の播磨別所で、東大寺の荘園大部庄の中心建築である。建久五年(一一九四)十月十五日に上棟。大工棟梁豊後介紀清永。東に薬師堂、中央に池泉、西に浄土堂を配して、浄土式庭園もかたどっている。

浄土堂阿弥陀堂(国宝)
浄土堂・本尊阿弥陀三尊(国宝)
同じ様式の東大寺南大門に比べると、和様風が少なく、重源が南宋より伝えたと言う宋風が色濃い。内部は常行三昧の形式で、仏の周囲を念仏行が出来る様に成っている。西の蔀戸を開放して、西日を差し込ますと日を背にした阿弥陀三尊(快慶作)が来迎仏の様を現す。運慶と兄弟弟子であったものが父の後を継ぎ慶派の頭領となった運慶、その時から快慶は慶派の仏師の一人にすぎない。俊乗房重源は慶派に仏像制作を依頼せず、命令と云う形で快慶個人に依頼をした。慶派は手出しが出来ず快慶の思うような制作が可能な形をとった重源の思いやりとでもあろうかと想像している。安阿弥、これは快慶が重源より貰い受けた阿弥号である。いわば快慶は重源の弟子でもあったのです。安阿弥様の名は号として世の出る事となって、慶派とは個別の作風を完成させていくのである。ちなみに、安阿弥様を慶派に採り入れようと 運慶は、子息である堪慶を快慶の弟子にして、学ばせた。また、快慶が受けた法橋位を堪慶に譲っている。これらはやはり遠慮が本家に有った証拠であろう。

八幡神社
 重源はよほど八幡信仰を重視していたのであろうか、庭園の中心に安置している。この八幡宮参道を挟んで池泉を配して、釈迦の教え現世を顕しているいる浄土式庭園には欠かせない池泉である。八幡は南を向いて、弥勒か大日如来でも習合して配しているのか。

薬師堂
薬師堂・浄土堂の東に位置して在る。本尊は、東方浄土・遣送仏薬師瑠璃光如来で、この手前、両堂の中心に池泉(現世釈迦如来)が在る。
ある時期は、浄土堂よりも重視されたほど、重要な建築物で、その美しさは色彩で飾った派手さは無いが、瑠璃光浄土の存在を浄土寺で今も存在感を示している。

不動堂

鐘楼

開山堂
開山堂・薬師堂の南側に位置する。開山重源の座像(重文)を安置

兵庫県小野市淨谷町2094
神戸三宮からバスで約1時間
四月〜九月の拝観時間:午前九時〜正午・午後一時〜五時
十月〜三月の拝観時間:午前九時〜正午・午後一時〜四時
大晦日と元旦を除く

写真撮影・清耳眼・小耳眼



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