天台宗
帰命山・蓮華寺
 大原に向かう人たちも、もしかすると見逃してしまいそうな蓮華寺。
それがかろうじて、この寺の静けさを守っているのかもしれない。
山寺風の山門であるが、静寂への誘い門であろうか、一歩踏み入ると右に梵鐘と鳥居、左に石仏を見る。それを除くと、寺ではあるが、何か賢者の棲家という風がある。
 
 江戸期のはじめの頃だが、その源流は遠く、須弥山より流れ出た仏法が伏流水としてこの地に湧き出たかのような特別嬉しい寺であり、今も脈々と利他の志を受け継いでいるのです。京都に庭の多きこと、名園のあることは周知のことだが、これほど多様に学び味わえる庭は、まだ他に私は知らない。
 和尚自ら庭にうずくまり、舐めるように清める姿、それを目にしたとき、これほど庭に似合う姿はなく、拝して嬉しさを覚えた。和尚を石に例えるのは、不敬にあたると思いつつも、京都第一の名石「座牛石」と、密かに命名している。
「牛はゴータマの良く出来た牛の意から」

座牛石 その石動き その跡清浄にして 葉も落つるを暫し控えるの観がある
忘己利他の精神をこの庭に映している。
 
 拝観謝絶の札があっても不思議でない寺である。一層に静かにお参りしてほしい寺です。比類なき叡智あり、比叡山を程よく見上げられる上高野(鷹野)に、帰命山、蓮華寺はあ ります。    「天台宗は和尚(かしょう)」

梵鐘
梵鐘・梵鐘は銅の汗をたっぷりとかいて、その歴史を思わす。その裾は蓮華が緩やかに拡がり、池の間には、この寺と交わった万福寺初代隠元禅師の弟子、二代木庵禅師の銘が今も静かに座し、時の流れを教えている。この梵鐘は、万福寺の合山鐘と兄弟鐘を思わす。

山門

 


鐘楼と鳥居

閼伽井
 石鳥居の左右に大銀杏、秋には和尚の悩みの種であるが、葉一枚片付けず置いてくれる。足元と天とが黄色、宙に浮かぶ紅とで声を出さぬ人は少ない。鳥居は神仏習合時代の名残であるが、今もその奥に大明神が昔と変わらず、この寺を見守っている。その大明神の北に本堂があるが、一般の我々は他の寺と例外なく庫裏より庭を抜けて、本堂にお参りする。
 
 
 

  サア、妙なる蓮華の世界で四季は問わない。何時来てもその顔は他と比べ様のない仏の世界、仏法、それを知らない私も、この世界を味わい楽しんでいます。縁側と座敷との間に多めに感じる柱、その立ち並ぶ柱を通して見える世界は多様に味わえて嬉しい。視点さえも自由に任せられ、その味わいも見る者にまかされている。
立ち並ぶ柱の陰で、庭の陽を生かし、陰と陽の融合がそこにあり。陽が引き立つかの様であるが、その陽によって陰も見事にいきている。この庭には襖を白いままで置かす力があったのであろう、襖は外からの光を揺らしているだけである。
 豊臣家に仕えた後、前田家に迎えられた今枝氏、利他を主として余生を過ごしたこの地。その心ざしの引継ぎは、座敷と庭の配置で感じ取れる。視点を意識させない。また、上座を主としての作庭ではない。下座に迎え入れた人々に良く見えるようにしている。「入舟型」仏教にたとえて智慧の世界への来迎船であろうか。まるで此処に訪れた人々を 智慧の世界へ迎えに来たかのような舟が此方を向いている。この船は目的を達した入り船と言い、宝船とも言うが、宝なら教典であろうと思うのです。しかし、この庭は仏教思想と異なり、神仙思想の鶴亀式庭園である。浮かぶ舟は蓬莱山行きの舟なのである。持ち帰る物は宝物でも経典でもない。本来は不老不死の妙薬だ。確かに、それを満載しているのであろうか、姿を低く沈めて、真の入舟を表し、今だ誰も目的を達していないが、ここに既成事実を創り上げている。
 仏教と道教が融合した表現であるが、私には、この舟は釈迦牟尼到達の彼岸を目指した仏弟子の姿にしか見えないのです。その様に思った時、彼岸到達者に必要としない舟が帰り舟として其処に在ると言う事は、やはり彼岸到達に飽くなき挑戦している初心貫徹の仏弟子で、仏道の厳しさを表し、まだまだと教え導いている様におもえるのです。次回、訪れた時は、再挑戦の出船かも知れない。 秋の庭


鶴石
鶴石・鶴首石と二枚の羽石を立て、一目では鶴とはわかり難い。鶴ならば、一返し、一返し誠の想いを籠めた折鶴に譬えて見た。夢想国師の立てた石は、もっと解り難いが、金閣寺池泉庭頃からは、比較的鶴亀が解りやしく、一つの改革を成している。心の対象であるから、これが何々等と神経を使う必要は無いと思う。たとえば、逢うことの叶わぬ御方の姿に見ても誰も責める事はない。

舟石
舟石・水分け石・出船は空荷を表し水面から高く、入り船は目的を達した証しに満載を表し深く沈める。我国に伝説を残す徐福もそうであるが、蓬莱山行きの舟で目的を達した者はいない。しかし、この庭は入船で、深く沈めて、此処が仏教に譬えている一つの証しの様に想像をさす。彼岸が叶わず、帰還もう一歩で、入港のために、方向を定めて、右に旋回させて勢いを感じさし、まだまだ修行を要する己を知った嬉しさが満杯なのであろうか。
(本堂に至る渡り廊下から、この船の入港口を探してみてください)
 船の向こうに水分け石が僅かに沈んで見える。諸々の別れを教えて、大海で交わる嬉しさも見せている。(この石が現世の境として、作庭上は水量の目安にもなっている)
 亀島は写していない。亀頭石ははっきりと石を立て見せている。甲羅が石のため蓬莱山の象徴の松が甲羅の横に配していて背負ってはいない。仏の道標としてか、代わりに石燈籠を背負っている。
 元々、燈篭は庭園には配してはいなかったが、千宗易(利休居士)が露地庭に配してから通例になっている。
 

石橋
石橋・蓬莱庭には、神聖な場所として、行くことが出来ない諦めか、橋は架ける事はなかった。
桃山、江戸時代にかけて、僧侶、武将等の意気込みと言うか、思想的に行きたい、行けるだろうとなって橋が架かったらしい。この石橋は短く、橋の下に橋脚を添える事で、それもあまり気には成らず、長く見せている。僅かに隙間を取って奇妙に見せて、疑問を投げかけている橋脚、この事に気が付き疑問を感じた人は、観察力を示し、解ろうが解らぬままであろうが、もう学ぶ事を始めた事になる。僅かな隙間が、橋下何メートルであろうが、何年であろうが、不安を表し、学ぶ者は間違いなく受け止める仏を表しているのか。その部分を埋める努力を促しているのか・・・・・拝した回数だけ、何かを思わす石です。

庭より本堂へ

鳥居から本堂へ
庭より本堂へ・この庭は、池泉回遊式庭園とは違います。目的地に行く通りが有るから回遊式では無いと言う事は知っておきたいものです。れっきとした座視鑑賞式庭園、座った目線に合わせての作庭です。
鳥居から本堂へ・本来は鳥居を潜って本堂に御参りします。この延段が参道で写真では見難いが、参道を挟んで有名な本歌・蓮華寺型燈籠が対で在ります。
 


 鶴亀式庭園は、漢の武帝が長寿を願い、甘泉宮に亀の神仙島を造り、対岸に鶴島を配した。それが鶴亀式庭園の嚆矢に想える。我が国では、自邸に蓬莱島を造り、蘇我馬子が島の大臣(おとど)と呼ばれた。元々、日本に伝わる仏教は道教混合で、それを蓮華寺庭園は、道教思想で二義を表し、仏教の教えもしています。
 



 当寺の亀は、耳を持ちただの亀ではない麒麟との合体と言う。亀の後方には木下順庵の碑文がある。以前の庭は池泉と云うより、僅かに水路があっただけで、作庭者は色々といわれているが、水をなみなみと迎え入れている現在の池泉庭には、以前の作庭者とされる可能な年代は見えない。然し、その志は充分に継承されていることは間違いない。それら多くの人々の誠を纏めたのが、木下順庵であろうと思う。京都の人で、この人も前田家に仕えた。順庵その人は、朱子学の学風とゆうものは確立されていないと言われているが、一般的に知られている人では、新井白石,雨森芳洲、他多くの弟子の名が順庵の教育者としてその力を示している。言えば、この人も利他の人であ。
 

石川丈山89歳(1672)没。
隠元隆埼81歳(1673)没。
狩野探幽72歳(1674)没。
 

 当寺に関与した賢者達は、生まれも育ちも違うのに、互いに見届け合う様に一年おきに逝っている。この三賢者を送って二四年後の事である。没すること(1698)七十七歳、木下順庵、その心境の素晴らしさを夫々の寿命が教えている。
 本堂内外は、宗派立場を超えた誠の結晶です。そのときの楽しみを奪わない様に割愛します。
 

茶席の水は動き、お薄と茶菓子は、これも逸品。
一瞬をとらえて造る庭,よそ見していると無常のはずであり、鶴が大きく羽根を広げて仏を讃えての歓喜の一声、それを見るも聞くもこちらしだい。座して観想を繰り返すことで、この庭、すなわち経典を読み訳した事に等しいと思います。
 的は外れても、その気に成れば間違いなく、それぞれの心は的のある方向へ飛んで行くでしよう。
 私流に味わった事を書き込みましたが、個人的には、京都の観光には、是非、お勧めしたい処です。
貴方一流の想いで味わってみてください。
 

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