清明神社

境内に置く架け替えの旧戻り橋石

安倍清明の屋敷跡で名を留めた清明町に在る神社、平安中期の陰陽師安倍清明を主神に倉稲魂命を合祀している。清明は讃岐の生まれで、平安中期に賀茂忠行、保憲親子の保憲の弟子で、暦道は賀茂家に、天文道は安倍家に伝承され活躍したと伝わる。後には、子孫は本家の賀茂家をしのぐ繁栄を見て、江戸期三十五代目は、徳川家康のために、泰山府君祭を執り行い、以後、土御門家を名乗り、土御門神道(安家神道)を創始した。その主神は泰山府君であり、道教の神である。
 清明は、冥府の入り口、旧五条(現松原通り)六道の辻近くに法城寺を建立していて、死後この寺に葬られたが、今はその跡らしきものしか無い。

 知る人ぞ知るという、占いでは有名で、僅かな方であっても遠方からもやってくるぐらいで、静かで歴史ある神社でした。自衛隊の☆は継承しているかどうかは知らないが、我国の悲しい歴史の陸軍将校の帽子の天部に明確な桔梗印の縫込みがあります。兵隊さんの階級を示す物は星ではなく、弾に当たらない願いのこもった清明桔梗だと聞いた事があり、当時の政府も認めていた神社と云う事になります。一般社会に、現在も残っている物では、志摩の海女が身に付ける手ぬぐいに、魔除けとして、清明桔梗が縫い付けられている。この清明桔梗印(五芒星)も泰山府君と同じく道教で、北斗信仰から来ていると言う。
 テレビ放映までにすでに在った神社ですが、テレビ映画で安倍清明を一般に有名にして、写真に見られるように列を成しての参拝が始まりました。この様な現象は此処に限らず、他に違わず放映が終わってしばらくしたら、静かな元の神社になりました。
 ちなみに、神社は前の土地を買い取って駐車場にし、参道も新しく以前のものとは違い、古風な継承の姿が消えてしまいましたが、このことが良き事となって、尚もこの神社の継承につながれば嬉しい事です。

現在の架け替えた一条戻り橋
  式神を操り問題を解決した話もあり、常に式神を傍に置いたが妻が怖がるので屋敷近くの一条戻橋の下に控えさせていたという。
 また浄蔵は熊野詣から父の危篤の知らせを受けて引き返し、父文章博士 三善清行の葬列にこの橋上で遇う事ができ、浄蔵は法力により父を一時蘇生させた。この事から俗に戻り橋と云うが他の説もある。戻り橋と云われるようになってからは、戻ることを嫌う結婚式の列は此処を渡らない。

拝観時間:自由参拝
6028222 京都市上京区堀川通一条上る清明町
車椅子拝観可・境内
TEL0754416460 
市バス一条戻橋

写真撮影・清耳眼


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