天台宗山門宗総本山
長等山・園城寺
三井寺

仁王門(重要文化財)
 慶長六年(1601)徳川家康により、寄進されたものだが、甲賀の常楽寺からの移築である。 
 

 
園城寺(三井寺)は天台宗寺門派の総本山で、その昔、天智・弘文・天武三帝の勅願により、弘文帝の皇子・大友与多王が田園城邑を投じて建立され、天武帝より「園城」の勅額を賜り、長等山園城寺と称したのにはじまります。俗に三井寺と呼ばれているには、当寺に天智・天武・持統三帝の御産湯に用いられた霊泉があり、「御井の寺」と呼ばれていたものを、後に開祖智証大師が当時の巌儀・三部灌頂の法水に用いられたことに由来しています。
 長い歴史の上で当寺は再三の兵火にあい焼失したが、豊臣氏や徳川氏の手によって復興し、現在も国宝・重要文化財・名園など貴重な寺宝を数多く伝えています。

釈迦堂(重要文化財)
 天正年間造営の清涼殿を移築したもので、正面七間、側面四間、入母屋造で桧皮葺、簡素な住宅風建築で正面唐破風は後補であり中世寺院の食堂(じきどう)の様式を伝える。本尊は截金紋様の美しい清涼寺式釈迦如来立像を祀る。

金堂(国宝)
 当寺の総本堂で、弥勒菩薩を本尊とする。日本四大箇寺の一で鎮護国家の道場であり、本尊弥勒菩薩は天智天皇の御念持仏と伝えられる霊像である。現在の建物は、豊臣秀吉の遺志によって北政所が慶長四年(一五九九)に再建した正面、側面とも七間、一重、入母屋造で桧皮葺、建物全体は和様で統一され、木割太く、全体に低めで軒の出深く、大変美しい建築である。
 中央の燈籠の下には、大化の改新は、蘇我入鹿を斬殺したことで成しえた事であるが、その懺悔か怨霊を畏れてか天智天皇自らの薬指を埋めている。
 ちなみに、侠客たちが詫びのしるしと指を落す事は、ここから始まっていると云う。

閼伽井屋(重要文化財)

三井の梵鐘(重要文化財)

閼伽井屋・金堂の西側にあり、天智・天武・持統三帝の御産湯に用いられた霊泉が湧出している。ここから「御井の寺」すなわち、三井寺の俗称が生れた。建物正面上部には名匠左甚五郎の龍の彫刻があり、慶長五年(一六○○)、金堂と同じく北政所によって建てられたものである。
三井の梵鐘・三井の晩鐘で世に知られ、近江八景の一つである。平等院、神護寺と共に日本三銘鐘の一つに数えられ、音色で有名である。慶長七年、准三宮道澄が俵藤太(藤原秀郷)縁の、弁慶引摺鐘を模鋳したものである。


潅頂堂
潅頂堂・五間五間、一重、入母屋造、桧皮葺で東の正面には軒唐破風を付けた軽快上品な住宅建築で、大師堂の拝殿として建てられたものである。

三重塔

三重塔・もと奈良の比曽寺のあったものを、慶長六年(一六○一)、徳川家康が当寺に移したものである。三間三間、本瓦葺の塔で細部様式上から、鎌倉末〜室町初期頃の建築である。本尊は釈迦三尊を安置する。


微妙寺
園城寺の五別所の一で、現在地に移築したもので、湖国十一面観音霊場の一番札所。
本尊十一面観世音菩薩(平安時代初期・重要文化財)

毘沙門堂(重要文化財)
元和二年(1616)に建立された建築物で、極彩色仕上げで小堂であるが、観音堂に御参りする人の目を引く。

十八明神社
 寺伝で書き記すところでは、別名「ねずみの宮」と称して、園城寺が戒壇道場建立の勅許を得たが、山門(叡山)の強訴によって取り消された事で、怒った頼豪 阿闍梨が二十一日間の護摩を焚き壇上の煙と果てた。この強念が八万四千匹のねずみとなって、山門叡山に押し寄せて伽藍・経典を食い荒らしたと云う。
 八万四千は釈迦の弟子の数であり、仏舎利の数とも同じである。この数は聖なる数でこのような事になる筈はないが、寺門派・山門派の争いが果てしなかった事による逸話の一つであろう。
この明神は園城寺を守護する神々を祀っています。
 此れより先は観音堂になり、西国三十三ヶ寺霊場のページを御覧ください。

http://www.kadode.com/33kannon/index.html

 



拝観時間・8:00〜17:00
一般500(団体・450)・高校・中学300(団体・250)・小学200(団体・150)
引率者無料・身障者無料(手帳要)
車椅子拝観、観音堂の方は受付に申し込み観音堂の裏まで自動車で可、本堂は不可(背負って可)
園城寺は一部可(金堂背負って可)
滋賀県大津市園城寺町246
TEL 0775−24−2416
交通機関
JR 大津駅より京阪バス三井寺下車
JR 湖西線西大津駅より徒歩約15分〜20分


写真撮影・小耳眼



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