| 華頂山・大谷寺 | |
| 知恩教院 | |
![]() 三門 |
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| 慈鎮和尚(慈円)の庇護を受けていた法然上人は、その勢力圏東山吉水に安養寺に入ったが、建永の法難で土佐流配(遠路であり高齢につき讃岐)になった。放免になって都に帰り入寂するまで二年間この地に住した(現在の勢至堂辺り)。入寂後、弟子達によって廟堂を建てるも延暦寺僧徒の焼き討ちに遭う。間も無く廟堂と共に伽藍を建立して大谷寺の基礎が出来る。応仁の乱により焼失したが順次復興して、天正三年(1575)正親町天皇の計らいで浄土宗総本山となった。徳川家により寺観が整い、目に感じないが石垣にめぐらされ、山を背に城の形成を成しているのは、平城二条城の代わりをするものだと言う。楼上には天井に飛龍が睨みをきかして、宝冠釈迦如来、左右には十六羅漢が安置され、極彩色の世界が別世界を思わす。この山門を建てた棟梁夫妻も祀られています。大きく費用を超過した責任で二人は自害したと伝えられています。他力本願の教義に禅宗様式の三解脱門が敷居も外さずに木造の楼門では日本一の威厳を二代将軍秀忠によって構えさせている。春と秋の特別拝観で楼上に上ってみてください。古の京の町を想像して見れば二条城が一望できた事を想像できるでしょう。有事の際の一大拠点であった事で徳川がこの寺に力を注いだ事がうなずけるでしょう。 | |
![]() 御影堂 |
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| 御影堂:国宝に指定されている江戸初期の代表的な建築物であり最初の建物は家康公、現在のは家光公の再建によるもの。全体的に勢至堂を大きく造ったものですが、知恩院では最大の大きさを誇り、一同に千数百人が収容出来ます。中央には弟子が彫った法然上人の御影を上人が開眼した坐像を安置して、右には阿弥陀如来立像、法然上人の浄土教を開眼させたと云っても過言ではない、善導。左には徳川家三人を安置。 | |
![]() 阿弥陀堂 |
![]() 阿弥陀堂の本尊・阿弥陀如来坐像 |
![]() 梵鐘 |
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| 鐘楼・梵鐘は除夜の鐘などで知られているもので、現存最大級。僧侶十七人の力を要する重さ約七十トン。 | |
円山安養寺 |
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拝観時間:3月〜11月9:00〜16:30・12月〜2月は15:40まで |
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写真撮影・清耳眼 |
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