臨済宗天竜寺派
万年山・等持院
  五山の下に列する十刹寺院と云っても各地に六十余の数があり、寺格を表すだけのものと成ってしまったが、この寺院は足利尊氏が等持寺の別院としてこの地に創建したもので、疎石を開山に迎えたことに始まり、その筆頭に位置する。
 尊氏の死後、菩提寺であった等持寺と併合して、尊氏の法号をもって等持院とし、以後歴代足利将軍の廟所となった。因みに、十刹寺院として、この東側に相国寺山外塔頭の真如寺が在ります。この相国寺が義満により出来るまでは幕府の重要な行事を果たしていたのが、この等持院です。

庫裡
 門を潜ると禅宗独特の庫裡が現れる、此処から拝観に入るのであるが、我々には身分相応であろうか、山門を潜らせて本来の参道から参拝出来る寺は少ない。しかし、僧侶の生活空間である、台所からの出入りは思いようによっては僧侶の心境を味わう機会かも知れない。

迎える達磨
 左に庭園、茶室、右には方丈庭園、この突き当たりは方丈の間になっている。
ガラス戸は近代に生きていく上は文句は無い、広縁のも匹敵する廊下の黒光りがそれらを打ち消す雰囲気を漂わせて現役僧侶の修行の一端を覗かせている。

方丈庭園
 水が主役の庭園にとって変わり砂、苔が水の替わりに其れを現し、枯れ山水が生まれたのであるが、神聖な庭の意識を持つ一般には知る所ではなかったが、方丈庭園は必ずと言っても過言ではなく手前には何も無い空間を造っている。此れが幾多の歴史の中から生まれた知恵と云うか、戦火、火災、地震の時には本尊や寺宝を大方消失してきたが、一時的にこの空間がそれらの避難場所になっていたのであろうと想う。
 現在の方丈(本堂兼)は福島正則が妙心寺塔頭海福院から移築させた建築物で広縁には鴬張りを施してある。

霊光殿
 霊光殿に歴代足利将軍の木像と家康も安置している。(二将軍を欠く)
 幾度と無く消失が新たな庭園の形を変えてきた。芙蓉の花に模って衣笠山を借景に素晴らしい眺めであったが近代の時代の流れか、立命館の建物が覗いている。これからこれも植栽で埋めていくであろう。
 清漣亭は写真の上部中央に見られる建物で、茶室の背後に床を施し庭園に向かって座り茶と庭を愛でる趣向に成って珍しい茶室である。立命館を邪魔にしている訳ではないが、茶室の櫛形の裏戸を開ければ衣笠山が見えていたと言う。

等持院型灯篭
 それぞれの個性、意匠を見出して他に無い独特の物を造る。此れには限界があり、どれも然程の変化は感じられないが、六角を支える織部風の棹を直接地に埋め込ん だ物です。寄せ燈籠と云うものが在るが、其れとは別に各人の感性を寄せて造るしか無い意匠の寄せ燈籠とでも言うのでしょうか。
 本歌の写しは恥じる事ではなく、その藝術成、感性の継承であって恥じる物ではない、むしろ誇るべきであろうと思う。

心字池
 日本人は命名の名人であろう、剣術にしても流派、何々の構え、茶道、花道何れも流派を名乗りその内容にさえ型の名を付ける。この池泉は心の文字を池に写して模ったものです。阿字ヶ池等もありますが、これは梵字の阿の裏文字を写した物と聞きます。名が無いのと有るのでは此方側に感じるものも違ってくるものですね。

拝観時間:
8001700 大人、高校400・小中学200 団割なし
車椅子拝観可

6038346 京都市北区等持院北町63 TEL0754615786
市バス北野白梅町・京福電車等持院


写真撮影・清耳眼


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