黄檗宗総本山
黄檗山・萬福寺

総門
山号、寺号共に、中国福建省、臨済宗・黄檗山・萬福禅寺を山城国宇治、萬福寺が継承したもので、明国萬暦42年(一六一四)神宗皇帝より賜わった勅号です。第一義の扁額は第五世高泉の筆によるもの。牌楼と云う中国式の門の棟鬼には空想の怪魚である摩伽羅(まから)を備えている。
黄檗とは、中国萬福寺に黄檗(和名きはだ)が多くあった事からの由来して、我国にも奈良時代より薬草、染料などにしていた。 臨済宗であったが我国では明治から黄檗宗として独立している。日本三禅宗(臨済宗・曹洞宗・黄檗宗)。長崎唐人華僑に請われて三十名の弟子を連れ承応三年(一六五四)隠元隆g六三歳で長崎に来た。
現在も唐の三ヶ寺、又は、三福寺と呼ばれて興福寺・祟福寺・福済寺が長崎に在る。三年で帰国の予定であったが、朝野多くの者が帰依して、請われて幕府より寺領を用意されたこの地に寺を開き、江戸時代中頃までは中国僧を住持として招き、全て中国式であった。二代目住持を高弟木庵禅師に譲り、隠元は寛文十三年(一六七三)八十二歳で遷化され後水尾法皇より諡大光普照国師の号を賜わった。
 現在は黄檗宗と云われながらも、臨済宗の儀式作法の伝統を今日に継承されています。

龍目井(りゅうもくせい)左目

龍目井(りゅうもくせい)右目
伽藍は、山より竜が降りて来る容にして、竜の目を総門前に配している。

山門内、中央菱形の石が、竜の背を表して、この敷石の総ては、住持しか歩けないとi云う。

中門(三門・解脱門)

天王殿本尊:弥勒菩薩の化身布袋和尚
都七福神の札所

蛇腹天井

開ぱん(ぱん・不写・木偏に邦)

大雄宝殿
天王殿の背後に在る。大雄とは釈迦牟尼のことで、本尊として祀ることから大雄宝殿と称している。本尊の脇には頭陀行第一の大迦葉と多聞第一である阿難陀が控えて三尊形式になっている。左右には十六阿羅漢果に賓頭盧と慶友を加えて十 八体の阿羅漢果の木造が並んでいる珍しい人数である。
肥前黄檗宗龍津寺の住職を捨て、上洛していた、売茶翁の生き方が見逃せない。茶具を担ぎ街角で茶を売りながらの風流な生き方のなかに、煎茶を飲みながら、肩凝らないさりげない教えを説いていた売茶翁。 さらに現在の煎茶の作法を確立した。若冲の名も売茶翁の茶具に、相国寺の大典和尚が記した老子の句から引用したという。その名は、大典から授かったのか、売茶翁からなのか定かではないらしい。
また、黄檗僧の売茶翁を慕って伊藤若冲、池大雅にも影響を与えたであろうと思われるのは、若冲は経済的のは困らない身分でありながら絵一枚を米一斗相場に関わらず、銀六匁と交換していた。米斗翁(べいとおう)(米斗庵若冲)の名はこの所以からです。 池大雅は待画(絵を買う人待つ)の名にも売茶翁の影響であると聞いた。

合山鐘

黄檗樹(キハダ)

放生池(龍の心臓)

更新中

拝観時間・9:00〜16:30・一般500(450)・高校500(300)・中学300(250)・小学300(200)
車椅子拝観可
〒611−0011
宇治市五ヶ庄三番割34
TEL-0774−32ー3900



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