| 白華補陀洛山観音妙智院 | |
| 禅定寺 | |
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正しくは、白華補陀洛山観音妙智院禅定寺と称す。天台宗より曹洞宗に改宗。 そもそも、ここ宇治田原の地は、古来より宇治田原越え禅定寺越えと称して、山城国宇治より近江の瀬田に至る。また、信楽地方にぬける間道で、特に平京以前にあっては近江、ひいては東海道に通じる軍事上の要路として注目された古道であった。平安時代になって、洛南の宇治地方が、藤原一族の別荘地として脚光を浴びるようになるが、それは十世紀末から十一世紀にかけての藤原道長、とくに、子の頼道のころからで、平等院をはじめ浄妙寺白河金色院などで知られるが、禅定寺の土地はその先蹤をなしていたのである。 禅定寺の創建は、寺伝によれば、東大寺の別当であった平祟上人が、正暦二年(991)に私領の山野を卜定して、堂を建て、十一面観音像を安置したのに始まり、造営に五年の歳月を費やしたという。ついで長保三年(1001)に上人は杣山、一千町を含む田畠をこの寺に施入した。 禅定寺古文章、諸仏を観覧されるために、昭和五十五年に天皇陛下が皇太子時代に、ここを訪れた事は、自らも訪れてみないと、その値打は解らない。 |
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![]() 葦葺の本堂 |
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| 街道から近づくと、葦(よし)で葺いた屋根が見えるが、寺である事を見逃しそうな古刹である。 明治までの国宝、十一面観世音菩薩が居られるが、本尊は釈迦牟尼である。拝観はさせて頂けるが、信仰の場である感が強く拝観寺院の色は薄い。これが訪ね着いたときに、何か安らぎを与えてくれて、歴史の長さとか、誰が創建したかは興味が薄れて来るほどのものがある。 和尚も、奥方(大黒)もよく接待をしてくれ、現在を味わえ、それが継承されてきた中に居る事と同じで嬉しかった。 |
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![]() 弁財天 |
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| 弁財天と鐘楼、源平合戦のさなか、寂西が発願して荘民達が貧しい中でわずかな布施を重ねて梵鐘を鋳造したが、再び寺や荘民が協力して改鋳した。この鐘は時刻を知らすと共に非常時には打ち鳴らして荘民達の生活に欠かせないものであったが、先の大戦で供出により鐘楼のみが残された。現在の梵鐘は昭和五十年に、ここを訪れた参拝者の京都嵐山在住の中川武治氏の発願により復興されたものです。 | |
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古刹には似合わず、保存のために近代建築の宝物館があるが、あえて写真は撮らなかった。 禅定寺のみほとけ 十一面観音立像(重要文化財) 一躯 寄木造漆箔 像高286cm・藤原時代初期(10世紀末) 日光菩薩・月光菩薩立像(重要文化財) 二躯 一木造 彩色 像高 日光菩薩203cm・ 月光菩薩208cm・藤原時代初期(10世紀末) 文殊菩薩騎獅像 (重要文化財) 一躯 1木造 彩色 像高 57cm(坐高)・藤原時代 四天王 (重要文化財) 四躯 一木造 彩色 像高 持国天164cm・増長天163cm・広目天156cm・多聞天161cm・藤原時代 大威徳明王像 一躯 一木造 彩色 像高60cm・藤原時代 延命地蔵菩薩半跏像 (重要文化財) 一躯 一木造 彩色 像高88cm・藤原時代 |
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猿丸神社 |
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拝観時間・9:00〜17:00・一般・高校500(400)・中学・小学200(200) 車椅子拝観一部可・介護者要 〒610−0201 京都府綴喜郡宇治田原町字禅定寺 TEL 0774ー88−4450 FAX 077488−4415 京阪電車宇治駅下車・京阪宇治バス乗り換え、維中前下車・京阪バス乗り換え、禅定寺下車すぐ 近鉄電車田辺下車・京阪バス乗り換え、維中前下車・京阪バス乗り換え、禅定寺下車すぐ |
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写真撮影・阿耳眼 |
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