天台宗
岩根山・医王院
善水寺
 惜しげもなく捨て去った年号寺・和銅寺。延暦寺(比叡山寺)と云う年号寺が創立した後の事であるが、奈良仏教を捨て去った桓武天皇の意向か、謎とは云うまでもないが勢力関係が見え隠れして埋もれていった和銅寺の歴史。
 最澄が中興した寺と伝わるが、此の寺から学んだ事は言い知れない物があったはずである。ほとんどの僧達の興味は薄れているが、此の存在は延暦寺を知る上には欠かせないと云っても過言ではない。
 中興と云うよりも取り込んだと言った方が調べるうちに解る事ではないか。
空海遅しと云った所であろうか。

本堂(国宝)
 野州川の支流、思川の右岸に近く、岩根山の中腹に位置し、岩根山医王院善水寺と号す天台宗である。寺伝では、元明天皇和銅年間(708〜715)に草創され国家鎮護の道場として、和銅寺(年号寺)と称す。最澄(伝教大師)によって中興され、比叡山の別院として尊せられる。桓武天皇(781〜805)ご病気の際、当時の香水により平癒され、延暦9年(790)善水寺の寺号を賜ったと言う。
 延文聞年(1360)の火災により建物、記録等すべて焼失し往昔のことは不詳。現本堂は貞治五年(1366)延海上人により再興され、幸い元亀年(1571)の織田信長の兵火による十二坊山(岩根山)の焼討には、僧侶達の智慧で焼失をまぬがれ、寛永(1624)の頃より江戸・東叡山の末寺となり、日光門主の支配下にあったが、明治三十二年(1900)古社寺保存法により特別保護建造物に指定、戦後、文化財保護法により昭和29年(1955)三月国宝建造物に再指定を受けた。
 今日では湖東三山が有名で多くの参拝者を集わせているが、何時の日かこの寺もその一山に加わる日が来るのではなかろうか、優るとも劣らぬ事を早く知って欲しいものである。
 天台仏殿で、南北朝の再建である。七間に五間、入母屋造桧皮葺の大きく優雅な仏堂である。前面に向拝がないところ古風をかんじさせ、建具に蔀戸を用いるので宮殿風の典雅さがある。軒廻りに蛇腹支輪・出組の組物がみられよく整っている。内部は内外陣を菱格子の結界で区切る。外陣で注目すべきは左右に梁をかけて中央の柱列を省略する珍しい手法で、周囲の組物から手狭が出ている取扱いは面白い。内陣須弥壇上の厨子(国宝)に入母屋造こけら葺で、本堂と同時代のものである。
 

鰐口と伝教の額(延暦寺に有る写真)

吽形

阿形
金剛力士立像(重文)
 仁王門は大雨で流されたが、その前に雨漏りが激しく此処に仮安置して重要なものが救われた。
その後も仁王門が再建されず、今でもこの阿吽の二像は、本堂の外陣に本尊を守るようにして仮安置してある。
藤原時代の勇健な作、寄木造、彫眼、彩色。
 本堂内の撮影はこれが限度です。

 薬師三尊像(重文)中尊薬師坐像(秘仏)は厨子内に安置され、一木彫で背ぐりが施され、皆金色の像。藤原時代初頭の造顕で、その重厚さは時代をよく示している。持ち物の薬壺が当初のものであるのは有難い。胎内から麻袋に籾が入れられたもの、正暦4年(993)の願文が見出されている。脇侍は厨子外に立つ梵天・帝釈天(寺伝では日光・月光菩薩)で一木彫彩色の像で、三尊一具のものである。
 この本尊の胎内にあった麻袋の籾が、約百年前の稲作の研究者によって穂を実らしたものを、その子孫が蔵より見つけ出して、当寺に寄贈してきたという。額内に丁寧に朱の布で束ねている実物を見せて頂き、説明書きによると、他五体よりの籾殻も含んでいるとの事、和尚(かしょう)の御説明では、四天王の多聞天には内繰りが無い事から、持国、増長、広目天三像と、梵天・帝釈天の胎内の事でしょうと説明を受けた。
 籾は保存数年に限りがあり、その役を果たさないというが、何百年の籾、これが実った稲になったと云う事は、人知では考えられない事であろう。万が一の飢饉の為に仏に託した籾殻は農民の切なる願いであった。薬師三尊はいつまでもその想いを大切に抱いて護っていた事になる。改めてその稲穂を見ると我ながら意もせずに鳥肌が立った。

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元三大師堂
 元三大師は慈恵大師良源のことで、入寂されたのが正月三日であった事からの敬称です。
太子は聖徳に取られ、大師は弘法に取られ、太閤は秀吉に・・・・と云うように、これらの称号は沢山居られました。

 

百伝(ももづて)の池

観音堂

観音堂・本尊・聖観世音菩薩丈六像

鐘楼

寺宝
誕生釈迦仏像(重文)
銅造鋳金で像高は23,2糎の小像で、奈良東大寺(国宝)に次ぐ名作と言はれる。
花祭りの本尊で肉髻を現し、螺髪を鋳出し、丸々とした童顔に微笑をたたえ、三道や胸のくびれ腕の関節や皺、そして衣文も明快に現し緻密な表現の像である。なお盤は残念ながら大東亜戦に供出され現存しない。八世紀末(800)の造像。
四天王立像(重文)
 仏壇上左右に立つ。寄木造、金泥盛り上げ彩色の残る藤原時代の温雅な作である。
持国天・増長天立像(重文) 鎌倉時代
兜跋毘沙門天立像 (重文) 藤原時代
不動明王坐像   (重文) 藤原時代
僧形文殊菩薩坐像 (重文) 藤原時代
阿弥陀如来立像  (県指定)鎌倉時代  (一光三尊・善光寺式像)
十二神将
釈迦如来坐像
聖観音菩薩坐像
扇檜形懸仏面  文亀4年(1504)の年号墨書。
 

岩根山・不動寺

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拝観時間・9:00〜17:00・(12月〜2月は16時30分)・一般400
車椅子拝観境内可(本堂は背負っての拝観は可・座る場所あり)
滋賀県甲賀郡甲西町岩根3518
TEL0748-72-3730
JR三雲駅→JRバス近江八幡行きまたは近江下田行きで6分、バス停:近江大口下車、徒歩20分
 

写真撮影・阿耳眼・小耳眼



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